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 実を言うと牧のうどんの話はまだまだ語り尽くせてない。
 そこで以下に箇条書きにしてみることにした。

 其の壱、 ラーメンと同様に替え玉がある
 其の弐、 青ネギはいくらでも勝手に入れ放題
 其の参  出汁のとり終わった羅臼昆布は、レジ横に置かれ無料で持ち帰ることができて一粒で二度おいしい。 (私はこれで佃煮をつくることにしている)
  ※ そして此処重要で、かしわご飯とセットで頼むと「更に旨し」なのだ。

 普通はうどんと共に頼むご飯ものと言えば、おにぎりかいなりがまずは頭に思い浮かぶのではないだろうか。
 もちろん牧のうどんにもいなりはあるのだが、鶏の旨味たっぷり沁み込んだかしわ飯はこれまた最高なのである。
 ある意味、隠れた主役とも言え、小ぶりの飯茶碗から立ち昇る牛蒡独特の香りが鼻の奥を擽るから堪らない。

 ところがである福岡県内においてうどんチェーン店の双璧を成す資(すけ)さんうどんでは、〝ぼた餅〟を推す声が大きい。
 この資さんうどんは北九州市を中心に展開するのだが、最近福岡市内においても看板をよく見かけるようになった。
 これは牧のうどんが敵地の北九州まで戦線を拡大してないなかで、将棋で言えば王手をかけられたようなものではないか。
 どうするマッキ―。
 危うし牧のうどんである。


資さんうどん(2013)_convert_20131118215203
 器からはみ出す細長く切られた牛蒡天が特徴
 それに甘み押さえたぼた餅が不思議とうどん出汁に合うから面白い



資さんうどん4_convert_20131118222045
 しつこいけど更にズームイン! 輪切りのかまぼこはどこを切っても「資」の文字


 それに全国展開目覚ましい丸亀製麺は日の出の勢いで、あれよあれよという間にあちこちでみかけるようになった。
 東京は言うに及ばず、三年前には仙台にて、最近は帰省した鹿児島の故郷でも、そしてここ長崎でも見かけ、とったとられたの仁義なき戦いが繰り広げられているようだ。
 ちなみに調べてみたら北海道から沖縄まで、現在839店舗あるではないか。
 う~ん・・・ソーキソバも危うし。
とにかく「頑張れマッキ―」なのだ。
 しかし下手に拡大路線をつき進み、肝心の味が落ちるようなことがあってはこれまた困る。
 とりあえずは「ほどほどに頑張れマッキー」にしておこうではないか。


牧のうどんconvert_20131118215348
 ごめんなさい(>_<)
かしわご飯の香りが届けられないのが無念


牧のうどん2_convert_20131118215508
 私の勧めで七年前に大宰府の牧のうどんにて信者一号になってしまった、埼玉県出身の男
 いまや週一で食さねば発作が起こるほどの、重度中毒症状に悩まされているらしい・・・





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 何故か無性にうどんというものを喰いたくなる時がある。
 それも思いがけなく、突然に・・・
 「喰いたい」
 その切なき思いは胃の腑を無数の触手でからめとり、もはや饐えはじめたこの脳みそまでもこれでもかと捏ねくり回すのである。
 例えばだ、それが宿酔の苦悶の末にようやく訪れた安息であれば尚更に、酷使され続けた肝臓は胃に温かで優しく、しかも旨みのある出汁を欲して止まぬのである。
 
 そう、九州を代表とする麺と言えば、間違いなく誰もが豚骨ラーメンを思い浮かべるはずだ。
 しかしそんなものばかり食べていたら、ギトギト背脂で間違いなく中性脂肪の数値は高まり、いずれは糖尿病など成人病の巣窟の体になりかねない。
 ところで博多はうどんのメッカでもあり、地元ではラーメンよりもこちらの方がよく食されるような気がする。
 その証拠に福岡が成人病の死亡率ナンバーワンなどと、決して不名誉な事はありえない。

 さて、最近では香川県が「うどん県」なるものを名乗っているが、国内におけるうどんの発祥は鎌倉時代まで溯り、宋より帰国した聖一国師が製粉技術と共に広められたとされる。
 事実、中世の遺跡を発掘していると、擂鉢や捏鉢などその前まで存在しなかった新たな調理器具が目立つ傾向がみてとれるから面白い。
 やがてそれは長い時をかけて、洗練され豊かな和食文化を醸造し、いまや世界遺産の候補にまで取り上げられたのはまだ記憶に新しいはずだ。
 その大恩人である聖一国師を讃え、博多区の承天寺には発祥を記念する碑が境内の隅にではあるが、堂々たる格好で建っている。
 つまり博多こそがうどんの国なのである。
 
うどん発祥の碑convert_20130611101812
左が「饂飩(うどん)・蕎麦発祥之地の碑」、中央が「御饅頭所の碑」で、羊羹や饅頭もといった和菓子のルーツともなるものも同時に伝えられたのである


 まあ小難しいウンチクはここまでにして、福岡県内にうどん屋たくさんあれども、私は迷うことなく「牧のうどん」派である。
 通の間では「マッキ―」などとも呼ばれているらしい。
 この本店は福岡市とは西隣の糸島市にあり、ここを中心にして半径50km圏内に20店舗が国道沿いなど交通の便利な箇所に立地している。
 これにはちゃんとした理由があり、出汁だけは本店のみで作るこだわりさで、ここから毎日配送しなければならぬため、自ずと距離と立地には条件が伴うのだ。
 そうしたことから旨いにも関わらず、広範囲に展開できぬ限界がある。

 しかしながら麺は各店舗の調理場内に設置された製麺機で作られる。そして自動麺切り機で形を整えられたうどんは、事前に茹でて水しめ(ぬめりを取るため)されることなく、ベルトコンベアーで茹釜に直接送られる。
 つまり通常のうどんと比べ、工程がひとつ欠けた特殊な製麺方法なのである。
だから注文してものの数分で、どんぶりがテーブルに届けられる。


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注文票には軟めん、普通、硬めんで茹で加減を選べ、赤鉛筆で正の字を書いて店員に注文するのだ


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 やはり福岡は〝ごぼ天うどん〟が定番で、出汁を浸して食すとこれが最高なのです


 とにかく早い。
 にも関わらず旨い。
 だからと言ってのんびり味わって食べていようものなら、麺は出汁をどんどん吸い込み見た目の量がなかなか減らない。
 いやいや、減らないどころか増えていくのだ。
 だから傍らには常に、やかんに入った出汁も一緒にドンと店員が置いてゆく。

 ・・・と言う話をである、先日、結婚式の二次会で新婦の友人の美女数人に囲まれ、つい調子にのり熱くうどんを語っていたところ冷めた目でみられてしまった。
 そして牧のうどんに対し純粋に理解が得られなかったせいか、それとも素敵な女性に相手にしてもらえなかった哀しさか、よく分からぬ複雑な思いをのまま、冬の夜空に打ちあがる花火をひとり見上げねばならなかった。
(※当日の披露宴の行われたハウステンボスでは、幸運にもスペシャルイベントと重なり花火も観れたのであります)


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ICHI  大村市


 表札ほどの小さな看板に控え目に屋号が書かれているだけで、暖簾も提灯もないラーメン屋がある。 
 いや、ラーメン屋だと誰かに教えてもらわねば、何を生業としているのかも分からないくらいだ。
 以前から気にはなっていたので、近くを通る度に外側から様子を覗いたりもするのだが、店内の灯りは暗く、人のいる気配すらない。
 まるでひっそりと目立たぬように、その店は駅前にある。

 それでもよく観察すれば店の軒先には小さな黒板が立てかけてあり、たまに薄いチョークで「open」と申し訳なさそうに書かれていることがある。
 その時だけは民家風の引戸の向こう側から、薄く明かりが零れでている。
 どうやら気まぐれな店主らしい。

 とある日曜日のことである。
 さほどお腹は空いていなかったのだが、どういう店なの常々興味があったので、つい引戸に手をかけてしまった。
 戸はガラガラと引っかかりつつ、鈍い音をたて開いた。
 するとその音を聞きつけて、奥の方から少女のあどけなさを残した、可愛らしい女性が水の入ったグラスを片手に笑顔でやって来た。
 何気なく店内を見渡せば、落ちついた雰囲気でどうみてもここがラーメン屋とは思えない。
 なんだか喫茶店みたいで、カウンター席には単行本が綺麗に並べられている。
 そのほとんどが村上春樹と村上龍であった。

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 そういえば私がまだ20代の頃、ダブル村上が新進気鋭の作家として注目されはじめた頃には、よく読んだものだ。
 特に羊男をめぐる3部作は不可思議な世界観で、理解できそうでなさそうな表現しようもない倒錯さに、知らず知らず引き込まれてしまったのを思い出す。
 気づけば自分の座るテーブル脇にはマガジンハウスの月刊誌である『BRUTUS』が置かれてある。
 「まだ創刊していたんだ・・・」
 こうなると気分は一気に80年代にスリップである。
 
 注文をとりに,今度は店主がやってきた。
 黒いニットの帽子にTシャツとジーンズ姿の、ギターでも持たせたら今にもブルースを歌いだしそうな、同年代の長身で痩せた男であった。
 
 お薦めの“黒ゴマ豚骨ラーメン”を注文し、更に店の中を見まわす。
 心地よいライトジャズが流れ、奥の方で麺を湯切りする音がリズムに合わせるかのように聞こえてくる。
 あのやたらと威勢の良いラーメン屋とは全く異なる空間がある。

 例えばだ。
 店員のひとりが「いらっしゃいませ」と大声をあげれば、他の店員もそこにいる人数だけ同じようにそれに応え連呼される。
 これではうるさくてしょうがない。
 “高菜ラーメン”など注文しようものなら、まるで伝言ゲームのようにカウンター奥にいる作り手の店員まで声が飛び交う。
 「高菜ラーメン1丁!」
 「はい、高菜1チョーウッ」てな具合にである。
 狭い店内の耳元でやられるのだから、たまったものでない。

 豚骨ラーメンの麺はストレートの細麺で、茹でる時間は醤油ラーメンのようなちぢれ麺より極めて短い。
 それでも九州のほとんどのラーメン屋では柔麺・普通麵・硬麺と指定できる。
 硬麺の上には上があり、バリ硬、さらにハリガネと呼ばれるものも存在する。
 「それって生でしょう」などと言いたくもなるが、事実あるのだから仕方ない。
 ちなみに私は硬麺でちょうどいい。

 話がそれてしまったが、注文した“黒ゴマ豚骨”がなかなか出てこない。
 麺の硬さは指定しなかったが、豚骨ラーメンなのでさほど時間がかかるはずなどない。
 遅い午後の昼下がり、客は私ひとりだけ。
 BGMは既に3曲目が終わろうとしている。
 店の奥でカタコトと、どんぶりが小さくぶつかり合う音がした。

 それから間もなく、先ほどの女性がニコニコと、これまた嬉しそうにラーメンを運んできた。
 正面にラーメンどんぶりがすっと置かれ、その左脇には黒ゴマがのっかった蓮華が添えられた。
 「スープに溶かして召しあがってください」
 まずはそのままスープを味わってみる。
 そして次に黒ゴマを溶かせば、一粒ではなく、一杯で二度美味しいグリコのキャラメル方式である。

 味はまったり濃厚スープにしてはあっさりで、臭みもなく食べやすい。
 欲を言えばクセがないというか、コクなるものが感じられなかった点であろうか。
 などとグルメレポーターみたいなコメントをしてみたくもなる。
 しかしゆっくりとした時間の中で、こうしてラーメンを楽しめたのは予想外で得した気分であった。
 やたら威勢のいい体育会系ラーメン屋がある一方で、こうした文化系の店があるのも面白いものだが、さすがに腰をすえて小説など読もうなどとはいきそうもない。

 そうそう、村上春樹といえば、作品を読んだ後に必ずパスタとビールが欲しくなるのはどうしてだろう。
 それは食欲をそそるとはまた異なる、上手くは言い表せないが刷り込み的な、心の隙間にすっとはいってくる何かがあるのだ。
 それをラーメンでやってくれたら面白いだろうなと、食後の余韻にひたりながらひとりもの思いにふけるのである。
 
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