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2012.02.04 鬼は外
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福岡市博多区 櫛田神社にての節分


エ~、本日は節分なり。
 「鬼は~外、福はぁ~内」
 2月3日とは、この上なく鬼にとって災難の日である。
 物語の鬼は怖い半面、どこか哀しい運命を背負わされているのにお気づきだろうか。
 それに比べ退治する方のヒーロー方の裏側には、どことなく厭らしさが垣間見える。
 そう言う私はひねくれ者なのか・・・。
 
 例えばである。鬼は人間が決して持ち得ない異能な力を宿している。だが、単純なだまし討ち
に、あっけなく敗れてしまうのが常だ。桃太郎でも、一寸法師でも、実は鬼は間が抜けて、お人
好しで、人がいいのである。
 いや鬼がいいのである。

 さて、鬼なる者の存在は古代まで溯ることができる。所謂、まつろわぬ神で、大和朝廷になかな
か服従しない蛮民を蔑み、そのイメージを具現化したものと考えられている。
 京の都からみて東北は鬼門で、その方角にあたる比叡山に延暦寺を建てたのは王城の鎮守を願う
ためであった。

 この都と延暦寺の軸線を更に延ばしたところに東北地方がある。ここには蝦夷と呼ばれる中央と
は文化の異なる人々が暮らしていた。そして大和朝廷に対して反抗的なでもあった。
 そこで朝廷は、797年に坂上田村麻呂を征夷大将軍として、討伐の軍をすすめた。それから幾度
かの戦いと、懐柔を繰り返すことで民族の同一化を図っていったのである。

 つまり、これがまつろわぬ神の正体に他ならず、都人から見れば野卑なる鬼として、更に外部に
巨大な敵を創造することで、為政者は内部の結束をより高めようとする。つまりナショナリズムを
高揚させる心理的な作用もあったのではないか。

 だからなのか鬼はいとも簡単に欺かれ、あっけない最後を遂げる。まつろわぬ神は何も東北だけ
とは限らない。遠く離れた南九州にも熊襲と言った猛々しい民がいたと「古事記」や「日本書紀」
は伝える。

 その物語は朝廷の命を受けた小碓命が、ひとり女装して熊襲の宴の席に紛れこむ。そして長であ
る熊襲健(クマソタケル)兄弟を討ち果たすと云うものだ。
 
 しかしこれはどうみても卑怯なやり方で、逆に虫の息にあった熊襲健の弟はその度胸を讃えて、
自分の“健”一字を与えるほどの器量の大きさを示すのである。それ以来、小碓命は誰もが知る
ところの倭健(ヤマトタケル)として、次々に対立する勢力を討ち果たしていくのである。

 いささか前置きが長くなってしまったが、節分で鬼を退治する武器はなにより豆だ。これをひと
掴みして、鬼に向かい投げつける。すると鬼はたちまちの内に退散してしまう。何だか滑稽な結末
であるが、おそらく豆には不思議な霊力が宿っていると、昔の人々は考えていたのだろう。

 こうした力をもつ食物は案外に多く、桃や瓜や餅などがも知られるが、その話はいずれとして、
まく豆は地域や時代と共に様変わりをしてきた。昔は家庭に食材として身近に置いていた大豆を
炒ったものであったのが、たぶん自家製の味噌など作らなくなってしまったのと時を同じくして、
姿を消していくのだろうと考える。

 これに代わりピーナツが主流を占めるようになり、それも殻つきの落花生ともなれば、衛生的で
地面に落ちても安心して食べられる。最近では様々な味付けをした豆類を小袋にパッーケジし、豆
まきが終わればビールのつまみとしても有難い。

 そう言えば豆は歳の数だけ食べるものであると、子供の頃よく親に叱られた記憶がある。ピーナツ
など食べだしたらきりがないもので、ついつい手がのびてしまう。しかし子供にとっては消化が悪い
食物で、食べ過ぎるとお腹を壊す原因にもなる。

 そこで大人が考えた奇妙なルールが、自然発生したのではないだろうかといまさらながら思うので
ある。そして最近ではこの豆に加え、巻きずしも新たな仲間として加わるようになった。何でもこれ
は関西地方の一部の地域で行われてきた風習で、今では恵方巻として近くのコンビニでも堂々と販売
されている。
 
 これも食べるにあたり風変りなルールがある。それは風水から導き出された、その年ごとに定めら
れる幸運の訪れる方角を向き、1本を丸かじりに喋らず黙々と食べ尽くさなければならないのだ。
 その仕草をちょっと想像してみると、何とも滑稽である。
 
 とにかく恵方巻は今や広く日本社会の認識と支持を得て、全国的な風習になりつつあるようだ。
だが、これはコンビニやスーパーなどの商魂逞しい戦略のひとつではないかと、またまた穿った見方を
してしまうのは私の性格の悪さなのか・・・。
 さても、古い伝統的風習は、手を変え品を変え受けつつ継がれていく強かさを持っているようだ。

 だからこそ東北地方の蝦夷の末裔の方々は安堵さ召され。遠くないいつの日か、数多く膨れ上がった
恵方巻信者が、福を得んと東北の方を一斉に向き、モグモグと無言で頬張る年も巡って来るのでありま
すから。

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2012年2月2日のダレヤメ

 よりによって仙台に出かける日に、この冬一番の大寒波が東日本一帯をすっぽり覆い尽くしている。
案の定、仙台駅は白一色の世界で、ガラガラとチェーンを転がし進むバスや、ボコボコと鈍く低い音を響かせる自家用車のスノたータイヤの音で賑やかだ。
 やはり寒さは苦手だ。だが、こんな日だから日本酒は旨い。早々に仕事を切り上げ、今宵もやって来ました“復興支援酒場”。
 手始めにと地元蔵元の「浦霞」と付け出しは郷土料理の「鬼の大根おろし」。この大根はおろし方が荒く、ボリボリと噛み砕いて食べるのだが、その食感がなかなかよろしい。それに「銀鱈の照り焼き」で、こちらはやや脂ののり過ぎか、いまひとつで残念。
 コップに盛り切りの甘露は表面張力でこんもりと、それでも溢れ出したものは下の受け皿にもなみなみとたまる。これで480円はかなりお得と大満足。
 さてさて、チビチビとやりながらも、早やコップは空となり、引き続いて「萩の鶴」と辛口を注文すれば、先ほど以上に溢れんばかりに注がれる。
 少しぐらいテーブルに零れるのもご愛敬と言うべきで、肴をもう一品と「もつの煮込み」を頼めば、熱々のが素早くお待ちどうさま。
 更に酒はすすむ、すすむ。グイグイすすむ・・・
 ラストはやはり「浦霞」と合計3杯を呑み干し、ごちそうさま。
 帰路は踏み固められた雪が氷となりツルツル滑りやすい。
 転ばぬようにペタペタペッタン、千鳥足ならぬアヒル足で、ホテルへと恐る恐る歩くのでありました。
2012.02.02 春は訪ずる
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 如月と暦はめくれるも、寒さは一段と厳しくなるばかり。東日本一帯が寒波に覆われ、東北では大雪のため交通がマヒしたニュースがしきりに伝えられる。
 明日はまたもや仙台に行かねばならぬのに、寒いのは苦手である。
 いつもなら大宰府天満宮の梅の便りに誘われ、散策に出かけて行くのである。そして無事に参拝を終えると、帰りの参道でアツアツの梅ケ枝餅を1個だけ買い求める。それを頬張りながらブラブラと店の軒先を見て回る。
 さて、天満宮の拝殿脇には“飛梅”と達筆な墨書の立板があり、これが菅原道真を慕い一夜にして都から飛んできた梅の木である。
「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘れそ」はそれを詠んだ有名な歌で、語韻の響きと言葉のリズム感の心地良さが好きである。
 そこでこれにちなみ少しばかり真似てみた。
 この春は梅を愛でることができそうになく、それでも相変わらず春は訪れるのかと思うと何処か寂しい思いが残る。


「東風吹けば 匂い思い出す 飛梅を 詣でらんとて 春は訪ずる」

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2012.02.01 虫の音愛し
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 これは随分前に作った一首。
 白雲荘は山小屋ではありません。旧10号線を福岡市内から大宰府に向かう途中、水城の手前辺りにある豚骨ラーメン屋の名前なのです。
 麵が隠れるほどネギが盛られ、当然ながら替え玉もあり旨いのです。いや、正確には旨かった言うべきで、今は店名が変わってしまいました。。
 ある秋の夜更けにどうにも腹の虫が騒ぎだし、無性に豚骨ラーメンが食べたくなったことがありました。そこで車に飛び乗り向かったのですが、どうしたことか道を間違え、たどりついた時には暖簾が降ろされていたという哀しい歌なのです。

「白雲のたどり着けぬは悲しきぞ虫の音愛し迷いし夜かな」

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