FC2ブログ
2012.04.29 「よだきぃ」
saigoudousyasin.jpg
鹿児島市城山 西郷隆盛終焉の地

images.jpg
東京上野 

 どちらも西郷隆盛の銅像だが、地元では凛々しく軍服に身を包み、片や上野の方は浴衣に愛犬を連れた親しみやすい姿である。
 鹿児島が出身の私には終焉の地である城山に建つ姿が馴染みなのだが、おそらく多くの方々は上野の西郷さんの方がすぐに頭に浮かぶことであろう。
 ということで西郷隆盛の話を特にするつもりではないのだが、少し方言について何かしら記しておきたいと発作的に感じたので、とりあえずカゴンマ弁イメージ代表ということで西郷さんに登場して頂いたのである。

 ちなみに私は高校を卒業するまで鹿児島で育ったが、確か小中学の頃であるが方言は社会に出てから弊害があるといくことで、当時の教育方針で矯正させられる時期があった。
 世の中はまだまだ好景気で、中卒が金の卵ともてはやされた時代だ。卒業まじかになると、雇用者から貰った腕時計を自慢げに、ひと足早く大人になる友人が羨ましく思えてしかたなかった。
 今では考えられないそういう時代である。何も鹿児島に限らず、地方からは毎年のごとく多くの若い労働力が汽車に揺られ都会へと夢を馳せた。
 そうした時代であるから、難解な鹿児島弁は他の地方出身者とはコミュニケーションをとる上で、大きな妨げになったであろう。しかし鹿児島弁は江戸時代において、幕府をはじめ他者の隠密活動を防ぐための作為的言葉であるから分かりづらくて当然なのだ。
 会話をしている途中で、疎通ができなくトンチンカンな話になれば大変な事で、怪しい奴と捕えられ打ち首である。実際に幕府の命で薩摩の領内に赴く密偵は、薩摩飛脚ともいわれ片道の覚悟であったようだ。

 ところで私は沖縄を旅してると、あの独特のイントネーションに鹿児島弁の懐かしさを覚えることがある。あの微妙に波うつ語感の抑揚感はがそうだ。もちろん同じ発音の名詞もある。例えば魚を「ョ」とか探せばいっぱいある。
 しかし、客を迎える「ようこそ」は、「おじゃったもんせ」と、これは京言葉の名残りである。さらに「黄色」は「きな」の古い言葉で、まさに乾燥した大豆を粉にした「黄粉」にも通じる。
 かと思えば腐ったものを「ねまる」というが、これは福岡は博多でも使われる。さらに疲れたことを、「よだきぃ」とかいうが、これは今でも大分県内ではよく使われる言葉だ。
 さて、このコラムを書こうと思い立ったのも、実をいうと生粋の鹿児島である両親が、何気なく「今日はグランドゴルフで頑張ったからよだきぃかね」といったのがきっかけだった。
 つまり鹿児島は九州の最南端にあることが、京の雅な流行語や九州各地の方言の袋小路となり、そこに意図的に難解な琉球の言葉をとりいれたのだと思うのである。

 随分と前に沖縄の今帰仁を旅した時に、ふと立ち寄った露店のオバアとそこに帰ってきた娘の会話は全く理解できなかった。そして不思議そうな顔をしている私に、「わからないでしょう」とオバアは愉快そうに笑いかけた。 旅すれば、それだけ様々な言葉に出会える。懐かしい言葉、面白い表現、生まれたての新たな造語。   
スポンサーサイト