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遅植えの ニガウリ待ちし 秋の空

 事務所の裏でニガウリを育てている。植える時期が少しばかり遅れたせいか、最近になってようやく花をつけてくれた。お盆を過ぎ、このところ暑さがゆるんできたのは嬉しいが、無事に実をつけてくれるかやきもきしながら眺めている。
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潮騒が ざわめき似たる 原の城

 江戸時代も初期のころ、西海の小さな半島で幕藩体制を揺るがす大事件が起きた。世にいう“島原の乱”である。そこには為政者の度重なる搾取と信仰への弾圧が、名もなき数多くの領民を一揆へと駆りたてたのだ。その中心には美男の誉れ高き少年の天草四郎がおり、三万数千もの人々と共に原城に籠った。しかしその末路は凄惨そのもので、多くの女子供を含む人々が撫で斬りにされたと伝えられる。

 原城の本丸から眼下に臨む海はどこまでもおだやかで広く、潮騒のゆっくりしたリズムが風にのり聞こえる。夏の終わりの青空は澄み渡り、ここが四百年前の悲惨な出来事の舞台であったことを暫し忘れさせるほどである。だがこの私の足元をいったん掘り起こせば、雨霰の如く飛び交った鉛玉や、敬虔なキリシタンの胸にぶら下がっていたであろうクルス(十字架)が、今でも真実を伝えんと生々しい姿を晒すのである。

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口すぼめ 檸檬をかじる 夏の空

 お盆を過ぎてもまだまだ暑い日が続く。午後の休憩に作業員さんが、輪切りにした檸檬の砂糖漬けをくれた。普段なら酸っぱくて、とても食べれたものではないのだが、この一切れには随分と癒される思いがした。
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2012年8月19日のダレヤメ

 故郷を後にする際に焼酎のショウケ(肴)にと、母親手作りの煮しめとニガウリの漬物、そしてダッキショ(塩茹での落花生)を詰めたものを渡された。今晩はそれを肴に焼酎を注げば、この帰郷中に随分と太ってしまったような気がしてならない。ためしにお腹周りを撫でてみると、やはり勘違いなどでないのを思い知らされる。それでもまあいいかなどと、明日からの炎天下での厳しい作業を考えれば、これくらいなんとかなるだろうとさらに頬張るのであった。
 
 ところで今回は思わぬ新発見をしてしまった。それはダッキショのことで、今住んでいる長崎県大村市でも同じ調理法のものが好んで食べられ、郷土料理のひとつとして紹介されていることだ。しかしそれはおかしい。なぜなら、これは鹿児島に伝わる独特な食文化のはずで、なぜ遠く離れた大村という限定された狭い範囲だけにそれが存在しているのか不思議でならない。

 だが、仮説のひらめきはいきなり訪れた。いつものように実家のダレヤメにはダッキショがテーブルにあり、その殻を割りつつ数年ぶりに呑んだ同級生の事を考えていた。そういえば彼は自衛官で、最初の赴任地が大村の駐屯地だとか言っていた。まさに点が線として繋がった瞬間である。となればダッキショは、自衛官を多く輩出する鹿児島出身者によって、もたらされた可能性が極めて高いということになる。「ダッキショの食文化にみられる分布論」、これは案外にいけるかも知れない。
2012.08.19 mokumoku雲 弐
故郷の空はどこまでも高く、そして広い。山の向こうから、海の彼方からこれでもかと、ごんごんと雲は湧きあがってくる。


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例え魚が釣れなくても海にいく理由はあるのだ


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雲も道を急ぐ


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風に揺れてみる


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澄んだ青空に紅の花を描いてみた


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橋の向こう側で雲が通せんぼ


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旧い洋館の屋根には天使が覗いていた
ここは確か産婦人科の病院だったよなぁ~



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桜島の噴煙だって負けてない
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炎天下の下で、大人に交じり小さな子供も懸命に練り歩く


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左側にさす刀は鞘よりも柄が倍以上も長く、太鼓に括りつけておかねばならない


 豊臣秀吉といえば立身出世物語を絵にかいたような痛快さと、気さくな人柄と庶民性もあり人気の高い武将のひとりでもある。しかしその晩年は傲慢で、年老いて授かった幼子の行く末を案じるあまりに、猜疑に凝り固まりついには甥である関白の秀次と、その一族の首までもはねてしまう。そして国内を平定し終えると、今度は海を渡り明国にまでも野望の眼が転じられることになる。途中において講和期間があったものの、1592年~1508年の7年間にわたる文禄・慶長の役は、国力を疲弊させるばかりでなく、隣国の朝鮮や明を苦しめることになった。

 少し前置きが長くなってしまったが、かねてより見ておきたかった伝統芸能がある。今風の派手さはなく、知名度も限定されたものだが、歴史は古く文禄・慶長の役の頃まで溯るらしい。それは鹿児島県姶良市で、毎年8月16日のお盆明けに“太鼓踊り”として催される。この戦いで島津義弘に率いられた1万数千もの軍勢は、見知らぬ異国の地を転戦して回ることになる。だが内陸深く攻め込むと、至る処で兵站地は寸断され、慢性的な兵糧不足と厳しい冬の寒さに多くの犠牲を払わねばならなくなった。それでも善戦すること、その勇猛で知られる隼人の剽悍さは敵である朝鮮も怖れをなすほどであったらしい。現代でも“シーマンズ”という言葉と共に、厄祓いの神として崇められるのはこうした由縁がある。

 さて秀吉の死と共に戦は終結したが、帰国した際に義弘が習い覚えさせたのが太鼓踊りの発端であるらしい。戦国時代を生き抜いた武将であるとはいえ、多くの仲間の屍を残し、どのように故郷の地を再び踏めばよいかの迷いもあったであろう。それを払い去るにも何らかのイベントを必要としたのかも知れない。異常に長い刀の柄を太鼓の前に突き出し、白塗りの顔に立派なつけ髭をしたユーモラスな格好だが、先導する舞手と小鉦に二列縦隊で黙々と従い練り歩く姿は勇壮で、遠い昔の薩摩武士の片鱗をも感じさせられるようだ。


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吉左右踊りは西別府地区だけに伝わる独特なもので、陣中に白狐と赤狐が現れ勝利したのを表現する
後続の向かって左側の長刀を抱えるのは朝鮮軍で、右側は島津軍である 



 また同地区には“くも合戦”なるものも盛んで、6月の時期が到来するその1月前には山野に分け入り、強そうなコガネグモを捕えては自宅の庭や屋内で飼育する。これも義弘が陣中にあって兵士の士気を高め、日々の慰めにしたのが起こりだと伝えられている。また、さつま川内市には出陣した湊があり、ここには久見崎盆踊りがあり、別名をを“想夫恋”ともいうが、太鼓踊りと同じ日の盆明けに地元の夫人が、黒紋付に黒頭巾のいでたちで、哀調溢れる調べにのせて輪になり厳かに踊るものである。これなどは朝鮮で犠牲となった夫や子供を偲ぶもので、時を超え様々な形として伝えられるものがある。


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くも合戦”は一本の棒の上で先に糸を切られ落ちるか、絡めとられれば負けである


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出番待ちの小さな継承者たち
いつしか故郷の懐かしき思い出として心に刻まれるかな
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2012年8月8日のダレヤメ

 本日は鱚が安くなっていた。昨日のメリケン粉(今は小麦粉というらしい)をそのままにしていたので、天婦羅にしてみた。さすがにカラリと揚げるのは難しいが、それでも美味しい肴となった。
 それとすっかりこの夏の定番となってしまった油ゾーメンと、昨夜作って冷蔵庫で冷やしておいたパンプキンサラダを添えてみた。
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2012年8月7日のダレヤメ


 7時過ぎにスーパーに行ったら鱈が半額になっていた。ならばと買ってはみたが、普通に塩焼きにするのも芸がなさすぎる。それならばと夏野菜と和えたアクアパッツアにしてみた。酸味のきいたトマト味ベースに、淡白な白身魚が夏バテ気味の体に優しい。
 もう一品は茗荷に酢味噌をつけた小鉢である。子供の頃は鼻に抜けるこのアクの強さの何処が美味いのか不思議でならなかったが、ゴーヤ同様に大人になってそのクセになる味の面白さに気づかされた食材だ。

2012.08.06 moumoku雲 壱
 どこまでも、どこまでも高く広がる夏の青いキャンバスに、これでもかと限りなく湧きあがる白いモクモク雲。蛙もいれば猫もいる。それとも怖ろしい怪獣か・・・・・・。いやいやあれは美味しそうなショートケーキだ。何だってある。その日、その瞬間、同じ作品に二度と出会うことはできない。


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 昼はカメラ片手に散策。涼しくなる夕方は釣竿担ぎ魚釣り。暦はめくられ早や八月となり、夏は確実に過ぎゆく。

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 注連縄を 揺りかごするは 蝉の子か
 夏祭りを終えたばかりの、境内にある一本の木には真新しい注連縄が残されてていた。ちょうどそこに蝉の抜け殻が気持ちよさそうに風に揺れていた。


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 陽の暮れを 待ち遠しきは 夏祭り
 夏超(なご)し祭りは市内に鎮座する神社の氏子達が総出で参加する。田舎の小さな行事だが、祭りは幾歳になってもワクワクと楽しいものである。


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 石垣を 仰いでみれば 夏の空
 二万七千九百石を治めた玖久城は海に面した小さな城である。そこに残る石垣を真下から覗き込めば、眩しい夏空があった。


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 松原に 透かし見えたる 沈む陽よ
 やはり真夏の陽射しは厳しいものだ。例えそれが夕日でもだ。松原の梢に射し込む沈む夕日よ、それでも少しは鎮まれ。
 

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 不動をも 滝に打たるる 暑さかな
 裏見の滝に行くには、谷をひたすら降りていかねばならない。鬱蒼とした林ながら、それでも汗が滲む。
滝壺に流れ込む水音が聞こえはじめると、涼やかな風が火照った頬を撫でてゆく。
2012.08.01 湾岸鉄道
まるで大きな湖のように穏やかな海原が広がる大村湾。その東岸を佐世保と諫早を結ぶのがJR大村線だ。その途中にある千綿駅のある東彼杵町は、江戸時代から続いた捕鯨で賑った町であった。だが、かつての面影を見出すのはむずかしい。そこに時代から取り残されたような駅舎がある。

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無人の改札口の向こうは一面が大村湾。


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 目の前は海。右も左も海。鏡の中も海。海、海、海だ。


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来た来た。懐かしいツートンカラーのデーゼル電車。


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電車は1時間に1本しか停まらない。なかなか来ないながらも、海を眺められるホームは厭きることない。


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 夕闇がせまれば無人のホームには電燈がともり、水平線の向こうも赤々と染まりはじめる。


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 少し時間をおいて、今度は反対方向に向かう電車が到着した。単線なので上り下りが、交互に停車していく。


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 夏の夕焼けをゆっくり横切り、海岸電車は進む。今度は乗ってみようかな。


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