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蜘蛛の糸
  待てどひもじき
    枯葉かな


 心配されていた台風がそれ、とりあえず大きな被害を被ることなく一安心。
 昼過ぎには少しながら晴れ間ものぞき、近くの山に散策に出かけてみた。
 すると人間界の騒ぎはよそに、虫の世界は何事もなかったかのようにいつもの
息遣いで溢れかえっている。
 草むらには賑やかな調べが戻り、次の世代へと命をバトンタッチする準備が着々
と進められている。
 しかしながら不運だったのは蜘蛛だけなのか、巣には枯葉がまとわりつき、暫ら
くは食事にありつけそうになさそうである
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 天気予報では台風が徐々に近づきつつあることを伝えてる。窓の外にはその気配はまだ感じられず、薄曇の肌寒い風の中に掘り返されたばかりの地面が顔をのぞかせる。
 私は歴史に関わることを生業としている。土の中に永年眠り続けていた遺構や遺物を掘りだし、彼らに何かを語らせるのが仕事だ。

 過去の構築物やモノは案外に饒舌である。そして嘘をつかない。往時のありのままの様子を懸命に伝えようとしてくれる。しかし聞き手であるこちら側の方が、どうも感度がいまひとつなようで隙間のピースをうまく埋められないでいる。
 それでもより多くの証人(遺構・遺物)の話を集め、文献史料に見いだせなかった過去の出来事を繋ぎあわていく。

 ところで文字はよく嘘をつく。そして都合のいいことだけを語りたがる。それも勝者の側の論理で、いかにその人物が素晴らしく正当性があるかをだ。
 だから敗者の歴史は常に日陰に押し込められがちで、名すら残せぬ大多数の人々の声などは、行間の隙間に深く埋もれてしまっている。
 そのためにも文字とモノの両者の話を突き合わせることで、何が真実であるかを検証せなばならない。

 この歴史なるものについてだが、現在の教育現場でどのように教えられているのだろうかと考えることがある。やはり今も受験のための丸暗記で、詰め込み方式と相変わらずなのであろうか。それも時間の都合で近代以降は切り捨てられて当然なるものなのであるのか。
 
 さて、中国や韓国の“反日教育”がもたらした一連の過激な出来事は、ニュースとして連日の如く取り上げられ、それを嫌がをにも眼にせざるを得ない。今や領土問題は日本帝国の支配時代の屈辱的であった感情論にすり替えられ、最終的には“反日”の歴史教育まで要因のひとつとして挙げられている。

 先日、ある討論番組でアグネスチャンが、中国の歴史教育は日本側が指摘するように、特に反日教育を意識したものでないと発言していた。そして事実を事実として伝えているだけで、日本だけが不都合な歴史を誤魔化していると反論していた。それに対して周りの中国人タレントも、一斉にそうだと騒いだ。
 更にそうした真実を伝えない教育は、世界中で日本だけだとも言い放った。

 来日したての頃のあの可愛らしいかったかつてのアイドルが、あれからどこか嫌らしく歪んでみえて仕方ない。しかし私は世界中の教科書を見比べたこともない。果たして彼女が言うように日本だけが、自国にとって都合の良い内容の教科書を使っているのだろうか。ふと考えもさせられた。
 しかしながら思想や言論が保障されている日本において、そんなことがあろうはずがない。だが誤魔化しはないとしても、摩擦を避けるために曖昧にしておきたい雰囲気はあったのかも知れない。

 とにかくこれまでのような受験のための歴史教育では、今後も増々とグローバル化が進む国際社会において、とても日本人としてのアイデインティティーなど支えきれるはずがない。歴史を正しく理解するということは、人類が未来へ進むための大切な海路を照らし続ける灯を得ることに他ならない。

 ちなみに領有権を主張する関係各国は、様々な史料を埃のかぶった棚の奥から持ち出して、いかに過去から自国領として認識してきたかを訴えている。だが史料は時として嘘をつく。捏造だってされる。ならば島に刻まれた遺構をみれば一目瞭然のはずだ。

 韓国はこうした構築物を上塗りするかのように、次々に新たな施設を建てて止まない。中国は軍事力と経済的制裁をちらつかせ、無茶苦茶な論理展開でごり押ししてくる。
 果ては琉球は古来より朝貢してきた中国の属国だと、真顔で信じてる一部の軍部もいるというではないか。ならばあの鎌倉時代の元寇で、甚大な被害を蒙った我が国の歴史はどうしてくれるのかと、激昂してみても埒がないのである。

 なんだかつい硬い話になってしまったが、「歴史を学ぶということは無味な知識を詰め込むことではなく、考える知恵を養うことである」と言うことで終わりにしたい。
 
 
2012.09.25 棚田の案山子
 三世紀頃の日本の様子を表した史料に『魏志倭人伝』があります。あの“邪馬台国”や“卑弥呼”が登場するので、たぶんご存知の方も多いはずです。この中に以下のような記述があるので紹介してみます。

 「又渡一海千餘里至末盧國有四千餘戸濱山海居草木茂盛行不見前人好捕魚鰒水無深淺皆沈没取之」
 
 意訳すれば「壱岐国から海を渡り千里余りで末盧(まつら)国に着く。末盧国は四千戸余の人家があり、山や海に沿って住居を構えている。この地は草木が繁茂し、進むほど前を行く人が見えなくなる。この地の人々は皆海に潜り魚やあわびをとる」というのです。

 末盧国は今の唐津辺りに比定されていますが、ここに描かれた風土や地形は肥前沿岸一帯に共通した感があります。つまり山は海岸線間際まで迫り、平野部は猫の額ほどで海に依存した営みが主体で、それは近代になっても隣村へ行くには船の方が便利であったほどだと聞きます。

 そうなると田圃などは急斜面に作らずを得なく、この一帯では多くの棚田が発達しました。しかし最近ではこうした景観を目にすることは少なくなりましたが、大切に守り続けられた地域では観光資源として新たな付加価値が注目されるようになりました。

 さて随分と前置きがながくなりましたが、長崎県波佐見町鬼木もそうした棚田を保存維持してきた地域で、百選のひとつにも数えられています。ここで先日のこと、案山子を使ったユニークなイベントが開催されました。
 案山子は時事ネタから芸能人まで様々な人物がモチーフになっていますが、やはりオリンピックイヤーということで、これにちなむ選手のをよく見かけました。
 そこでこれは面白いと感じたものを、選りすぐり取り上げてみることにしますのでお楽しみください。

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間もなく収穫の時期を迎えようとしています。
まだ少し青い稲穂が、秋風に心地よさそうに揺れていました。
棚田で採れる米は、冷たい山水が常に循環しているで格別なのだそうです。


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ワイルドだろぅ~

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「私のことは嫌いでも・・・・・」なんて、やっぱりいました。
せっかくならAKB全員集号の方が楽しめたのに、少し残念
しかし未だに誰が誰だか区別がつかず、同じ顔に見えてしかたないのです


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今回のメダルラッシュに、寝不足の人も多かったでしょうね

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似ているか否かは別にして、手作りの楽しさが見る側にも伝わってきます

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“愛ちゃん”ですね
ラケットがなければ、誰だか分からない微妙さ加減が、またほのぼのでした。

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昔、西城秀樹も唄っていた
ローラー ♪ 

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これは“八墓村”ではありませんから

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「棚田っ子 兄妹で追うかな 赤とんぼ」
名前がでてきませんが、このような情緒感ある画風の挿絵作家いましたよね


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     甘栗を 
      唾呑み込みつ
        皮を剝く


 さて、今晩は新ものづくしだ。
 頂いた栗を栗御飯にした。
 ところがそのためには皮を剝くのが大変で、無気になり
 過ぎたせいか爪先に皮が食い込み鬱血してしまった。
それも左の親指、右も同じく親指と人さし指である。
 これではどうにもならない。

 そこでしかたなく前歯で剝くことにした。
 どうせ自分で食べるのだから、まあいいではないかと・・・。
 悪戦苦闘の末になんとか剝き終え、土鍋の炊飯器に一気に放り込む。
米はお盆に帰省した際に、実家から貰ってきた新米である。
 それにさんまの刺身も添えて。
 今宵は休肝日にして、秋の旬を堪能することにした。

 しかしながら指先が何かに触れる度に、 
 ズキズキともヒリヒリとも表現しがたい鈍い痛みが残る。
 まあ、美味かったのだから仕方ないか。
 とりあえず、ごちそうさまでした

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     褒められど
       もう暫らくと
         ちぎりけぬ


 遅植えのゴーヤがようやく食べごろに育った。職場の作業員の方々は、口々に立派なのがなったと褒めてくれるが、もう少しばかり大きくなってからとつい採り損ねてしまう。
 
 そのいつまでも手つかずなのを眺めては、ならば代わりに食べてやるとばかりに皆がさらに褒め称えてくれる。これでは自分の口にはいらずじまいになると、まずは一番大きなのを一本ちぎって昨夜はゴーヤチャンプルにしたのであった。

 もちろん丹精を込め作っただけに、美味かったのは言うまでもない。
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遠藤周作の代表作である『沈黙』の舞台となった長崎市外海町を訪れる。この日は近づきつつある台風の影響もあり、ポツリポツリの雨がフロントガラスを濡らす生憎の天気であった。本来ならばここから望む角力灘は絶景で、五島やその他の小さな島々が碧い海原に浮かびあがっているはずだ。

 小さな岬の突端にまだ真新しい“遠藤周作文学館”が建ち、そこの展示を観て回ることにした。私が遠藤周作を初めて知ったのは本ではなく、ブラウン管越しに美味そうにインスタントコーヒーを飲む姿であったと思う。そう、あのキャッチコーピーで有名な、「違いのわかる男」シリーズのひとりとして出演していたからだ。

 それから随分として、何かのきっかけで『沈黙』のさわりを読んだことがあった。その時は重苦しく、悲壮感が漂う雰囲気が厭になり早々と放り出してしまった。それは大人になった今日でも心の奥底に刷り込まれ、他の作品をなかなか近づけることなく過ごしてきた。

 そうはいっても論文のイメージを膨らましたいという意味で、一度だけ小西行長を主人公にした作品を手にしたことがある。文禄・慶長の役を通して不仲な加藤清正との確執や、侍と商人の間で揺れ動く葛藤、そしてキリシタンとして意味もなく虐げられる異国の人々への情けに、常に悶々と悩み迷い続ける姿が、私には何故か苛立ち、拭いきれぬ不快感ばかりが募った。
 結局はその時も苦手な作家として、最後まで読み通すのは困難であった。だが、ここの文学館のパネルには、作品の一部が抜粋されそれに触れるうちに、もう一度読み直してみようとのささやかな抵抗が芽生えたようだ。

 人間であれば誰しもが抱えているはずの心の内なる迷いなど、ともすれば若さのエネルギーなるものにかかれば否定的な態度で弾き返そうとするものだ。どうやら来週でひとつ齢を重ねるせいもあるのか、私の内なるところで何らしかの化学変化にも似たものが生じているのかも知れない。それを証明してみるためにも、売店で『沈黙』を買い求めずにはいられなかった。
 そう、“違いのわかる男”の歳にいよいよ近づきつつあるのだ。
 たぶん・・・
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濡れ木立 声なき姿 夏惜しむ

 秋雨が静かに木立を濡らす朝、昨日から泊りがけで訪れていた山里を散策してみた。まだ酔いの残る眼の先には棚田が折り重なり、さらにその下方には入り江が小さくのぞく。ふと薄曇りの空を見上げれば、枝の先には蝉の抜け殻ひとつ。まるで季節の移ろいに取り残されたようにしがみついていた。


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踏み割りて 肥ゆる実さがす 里の秋

 知人の別荘の庭先には、青い実をつけた栗の木が数本ある。その根元には近づきつつある台風の風に揺られ落ちた毬栗が転がっていた。それを棘がささらぬよう、慎重に両足で踏み割ってみれば、中には艶のある大きな実がいつぱい詰まっていた。それらを拾い集め栗ご飯にでもしてみようかと、たったいま朝食を終えたばかりの腹の虫が騒ぐ。

 何とも秋とは草葉の奥で音色を奏でる涼やかな虫から、腹に巣食う虫までと賑やかなもので、せわしなかった蝉の鳴き声が消え去ったとても、まだまだ賑やかなものである。


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放生 暁待ちて はじき買う


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 一昨日から博多では放生会が始まっている。この時期になると夜風が心地よく、夕涼みがてら箱崎宮まで散策に出かけていたのが懐かしく思い出される。
 さて、この祭りの名物に“ちゃんぽん”なるものがあるが、麵類の食べ物のことでは決してない。あの歌麿の美人画の中にも登場する、“ビードロ”のことをいうのだ。ガラス細工の細い管からそっと息を吹き込めば、底の薄い部分が圧され軽やかな音色を鳴らす。
 
 これ以外にも博多人形師がつくる“おはじき”も人気がある。版で型どられた素焼きに、鮮やかな彩色が施されている。デザインは毎年ごとにテーマ―が定められ、これに則したものを職人がそれぞれ出品するのだ。今年のテーマは「むかしむかしのお話」だという。確かによく眺めれば、金太郎やかぐや姫といった馴染みの童話の主人公がいる。さらにこれらに混ざり人形姫や三匹の子豚と、海外の登場人物もあり、ひとつひとつの話を思い出してみるのもまた面白い。

 もう随分も前になるが、その年はちょうど九州国立博物館がオープンした時で、遺跡にちなんで土器やら石器などがデザイン化されることになり、記念に何とか手に入れたいものだと思っていた。しかし販売されるのは平日の朝で、仕事の都合上どうしても無理だと諦めかけていた。
 それを知りサプライズにでもしようと思いたったのか、寝坊すけの君は早朝の電車に飛び乗り境内まで出かけた。しかし当日用意されていたものは瞬く間に売り切れ、結局は無駄足に終わってしまっていたのだ。
 その日の夜は二人そろい祭り見物に出かけたが、傍らには申し訳なさそうとも寝不足気味ともつかぬ顔をした、少し太りめの埴輪が腕にもたれていた。
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 シーボルトが江戸に向かう途中に立ち寄ったことに由来する

 夕方、時間があったのでふらりと嬉野温泉まで出かけた。すると数年前に行った時には廃屋だった建物が“シーボルトの湯”としてリニューアルしていたのを知った。元々は大正13年にドイツ人が設計した公衆浴場だったのが、老朽化が進み最近になって元通りに建て直したということであった。
 
 ここのエントランスに「うれしの川柳大会」の案内チラシがあり、9月のお題が“器”であった。ということでさっそく湯に浸かりながら、五七五と何度も指折りながら夢中で句を考えてみた。たぶん周りにいた人たちは、「まだ若いのに、リュマチの湯治か・・・」などと同情されたに違いない。そんなことを湯上り時に体を拭きながら気づくと、なんだか可笑しくなってしまった。

 
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2012年9月8日のダレヤメ

 最近よく足がつることが多い。なので鉄分補給にと南瓜のソボロ煮を作ってみた。そして今回のメインデイシュは頂きものの竹崎カニである。この前からナマズやスッポンと珍しいものを頂いてばかりで、ここは本当に自然に恵まれた土地であることを食材を通し実感させられる。
 さて竹崎カニのことであるが、これは有明海で獲れる“ガザミ”と呼ばれるワタリガニの一種で、夏から秋にかけてが美味い時期になるらしい。形は甲羅が横長の菱形をしてるのが特徴で、小さいながらも小味がある。本当は日本酒が合うのであろうが、残念ながら我が部屋には焼酎しか置いてない。
 そろそろ猪とか鹿などで一杯やりたいものだが、自炊暮らしを心配して頂いてる心優しき長崎の方々、どうぞ宜しくお願いします。
 
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雨上がり そら溶け落ちる 水たまり


 突然の夕立が過ぎ去った後には、何事もなかったようにいつもの青空がぽっかり浮かんでいた。そして目の前の轍には、大きな水たまり流れゆく雲を映しだす。
 少しづつだが、朝夕の風が和らいできたような感じがする。野に咲く花の彩もまた移ろい、あれほど暑かった夏に終わりを告げている。

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背の高いススキのなかにあって、小さな花はすっくと天を目指していた

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眼鏡橋の袂で揺れていた艶やかな紫色の花は、空の藍色よりも眩しかった



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首(こうべ)たれ 何を惜しむか 夏の華 

 暑い日射に咲き誇った向日葵も、ようやく朝晩が過ごしやすく感じるこの頃になると、実がいっぱいに詰まった花を重そうに風に揺らしている。真夏の太陽を全身で受けとめ、身を焦がし実をつけた姿で、干からび枯草色に染まろうとも、それでも懸命に空を仰ぎ見ようとしている。
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待ちきれず さぞ美味しかな 虫喰いぞ

 待ちに待ったニガウリの苗に実がひとつなった。それから指先ほどだったものが、日増しに大きくなっていくのを楽しみに眺めるのが日課になった。そうしてる間にも、黄色い花があちこちで開いては、同じように実をつけていく。
 急いで追肥したり、水やりも怠らずした。それが今朝みたら、実の付け根の方に丸い穴がぽっかり空いているではないか。
 「え・・・、なに・・・」
 
 虫だ! そう言えば葉の上に黒い粒々したものが残っていたが、あれは虫の糞だったのだと今さらながら気づかされた。しかし葉を食べるならまだしも、なんで実を食べるのだ。それも苦いはずのものを。
 虫の喰いしニガウリの穴を、苦虫を噛み潰したが如く顔で眺めては、苦々しい思いにかられてしまう本日なり。
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ひょんな事から零戦のプラモデルを作るはめになった。
何でも或る資料館の企画展で、展示されることになるらしい。
そういえば子供のころ夢中になり、戦艦や戦車も作ったものである。
はみだしたセメダインを気にしながらも、奮闘中であと3機を仕上げ
ねばならないのだ。
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“くらわんか藤田コレクション” 波佐見町歴史資料館
(以前に骨董市で買い求めたのと同じものも展示されていた)
 


 江戸の遺跡を発掘すると様々なものが出土する。下駄もあれば簪や入歯だってある。
その中でも最も多いのは、やはり陶磁器だろう。それも古伊万里と呼ばれる佐賀県は
有田周辺で焼かれたもので、船積みされた伊万里の港にちなみ一般的にそう呼ばれて
いる。
 その中でも絵柄が簡易で、どちらかと言えば粗悪な部類のものがある。これらは有田
に隣接する長崎県は波佐見が生産地である。器種は椀から皿、徳利と身近な日用品で、
主に町屋など庶民が暮らした地域に集中してみられる。

 この波佐見焼はどちらかと言えば、くらわんか碗の俗称の方が有名で、大坂の淀川を
行き来する船を相手に、“飯くらわんか~、酒くらわんか~”と客引きしていたのに由
来したものだ。つまりこれ以前は陶磁器は高価で誰もが気安く手にできなかったのが、
波佐見で大量生産できる環境が整い、安価なものが出回った結果において、こうした江
戸時代の外食文化にも陶磁器が浸透してきとことを物語る。

 その図柄は簡易で、いっきに筆で描きあげられる素朴なものである。分厚く洗練さに
欠けたデザインながらも、どことなく手に馴染み易い温かみが特徴である。最盛期は18
世紀代の江戸時代後期で、大村藩の特産品として隣の鍋島藩の伊万里から有田産と
共に一大消費地である江戸や大坂に向け船積された。

 その後明治に入ると鉄道が敷設され、船に代わり汽車で輸送されることになるのだが、
そうなると名称も伊万里から有田へと出荷地の名前となるのである。しかし波佐見焼と
しての知名度は依然として低く、その需要とは裏腹に有田の陰に隠れた存在であったと
言わざるを得ない。

 さて。現在も中心街から一歩谷筋に向けて車を走らせた山里には、狭い斜面に折り重
なるようにして窯元が甍を連ね、そこに幾本ものレンガ造り煙突が競うように建ち並ぶ。
作風は相変わらず気取らない伝統を守り、どこか懐かしい親しみを覚えるのは私だけで
はないはずだ。この里からいま少し行けば棚田の風景が広がり、毎年秋にはユニークな
姿をした案山子たちが出迎えてくれる祭りもあるので、これからの行楽シーズンにはお
気に入りの碗探しに出かけるのも一興ではないだろうか。

「第13回鬼木棚田まつり」は以下のホームページにて紹介されてます
http://www.town.hasami.lg.jp/yakuba/nourin/tanadamatsuri.htm



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中尾山地区には、たくさんの窯元の煙突が並ぶ

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さっそく“芋焼酎喰らわんか~”なのだ
(広東碗と呼ばれるタイプで、高台が高く、体部は直線的で角度がある)
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