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 「五月蠅い」と書いて、「うるさい」と読む。
 10月も後半に入ると、ここ九州も涼しいから肌寒いへと体感温度の感覚が移りゆく。
 それでも時折、思い出したように姿を現す蠅がいて「十月蠅い」のだ。

 こういう時に長崎県出身者は「やぐらしか!」と大声で叫ぶ。
 つまり「うるさい!」なのだ。
 ところが鹿児島は少し違い「せがらしか!」なのだ。

 下の語の「・・・らしか」は、おそらく「・・・らしい」というような、その場の様子や状態を表現しているのだと想像する。
 例えば「しおらしい」とか「おとなしい」のように。
 それを最後に“か”を付けて言いきるところが、歯切れよくいかにも九州ぽいのである。

 ちなみに「やぐらしい」とか「せがらしい」と、実際に叫んでみて欲しい。
 すると“い”という母音は、“か”が含む“あ”のと母音に比べて語尾が頼りなく流れてしまうのに気づかされる。

 試しにさ行では、「やぐらしさ」と「やぐらしし」となる。
 まあ、このような使い方はないが、どうだろうかどちらが強調的に発音できるだろうか。
 ちなみにちなみに“た行”では、「やぐらした」と「やぐらしち」だ。
 ちなみにちなみに“な行”ではとやりだしたら切りがないので、後はご勝手にどうぞ。

 さて九州内で広く使われる類似した言葉に「しゃしい」なるものもある。面倒だとかのニュアンスもあるが、これも語尾に“あ”の母音をもつ“か”を付ければより感情的な雰囲気になる。
 「しやぁしカッ!」
 試しに九州の友人がいれば使われてみたらいい。
 但し如何なるトラブルになっても、責任は負かねるが・・・。

 余談ながら「やぐらしい」の頭の“や”をとり、「ぐらしい」となれば、鹿児島弁では可哀そうの意味になるのだ。
 しかしながら悪い言葉はすぐに覚えてしまうのは子供と同じようで、まだまだ暫らくはネイティブな長崎弁と付き合うことになりそうだ。
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仙台城本丸に建つ伊達正宗像
「馬上少年過ぐ 世平らかにして白髪多し 残躯天の赦す所 楽しまずして是を如何にせん」

  発掘作業をしている向こうの方で、「よんな~よんな~」と言っては大笑いしている声が響く。
 面白そうだなと思い、「それって何なんばい」と聞いてみても、相変わらず返事は「よんな~」となのだ。
 どうやら方言らしいが、さっぱり意味が分からない。
 
 すると親切なひとりの作業員さんが「沖縄の方言たい」と教えてくれた。
 「焦らず、ゆっくりやろう」という意味らしい
 でもここは長崎である・・・
 そうだ・・・
 そういえばこの前に、沖縄出身の方を採用したばかりだった。

 さて、作業はちょうど粘土質の硬くしまった土の層を掘削する段階に達しており、これまで片手で持てる小さなスコップから、両腕を振り上げ打ちこまねばならぬ鍬に持ちかえたばかりの大変な状況であった。

 ならば「よんな~よんな~」で、丁寧に遺構と遺物を捜そうではないか。

 ちなみにこの沖縄方言の反対後に「ちばりぃよ~」がある。
 それをふと思い出して叫んだところ、皆の眼が点になってしまった。
 しかしひとりだけ笑顔の人がいる。
 沖縄出身の方だ。

 さて、それからが大変。
 いや、長崎はという話になり、さだまさしがNHKで唄っていた“みんなの歌”の「がんばらんば」と話は盛り上がりをみせる。
 鹿児島出身のおいどんも負けじと、「きばいやんせ」を唱えなければならない始末となった。

 同じ九州でも応援する言葉は、様々で嬉しくなってくる。
 ちなみに長崎県内でも島原に行けば、「がまだす」なる方言もある。
 これはあの20年ほど前の普賢岳の大災害から、復興する時の励まし合うかけ声にもなった“元気をだせ”という意味がある。

 そう言えばちょうど1年前の今頃、私は震災の爪跡も生々しい仙台にいた。
 永年住み続けた福岡の街に何処か似た雰囲気の仙台に、親しみを覚えつつも何故か暗い影が見え隠れするのが痛ましく感じられてしかたなかった。
 
 あの街で傷ついた人を励ましてあげられる、地元の方言もきっとあるはずだ。
 それを半年も暮らしていながら、遂に知ることもなかった。

 そうそう、こうしてブログを始めたきっかけになったのは、あの現場で知り合った作業員さんの勧めで“写真川柳”なるものを知ったからである。

 また或る人はスーパーの袋いっぱいに詰まった銀杏をくれた。
 ありがとう。
 あれは宮城県栗原市に蔵元がある“萩の鶴”の肴に、美味しく頂きました。
 そして皆さん、相変わらず元気で頑張ってますか。


2012.10.14 つるべかな
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山寺を
  足早に往く 
    つるべかな

 
 息をきらし登山道を往けば小さな山寺の脇にでる。

 秋の陽はすでに西に傾きつつ、リュックから水筒を取り出し一口だけ乾いた喉に注ぎこむ。

 頂上まであともう少し。

 早くここを超えて下山しなければ、真暗闇のなかを歩くことになりかねない。

 「急げや急げ」

 秋の陽はつるべおとし。


 多良の山系は1000m前後の低い山々が連なりである。
 それでも懐は深く地形はいりくみ、古より山岳修験道としての聖地として知られている。
 気軽に軽登山を楽しめるコースもあるのだが、沢伝いにあえて難しいルートを選んだことがいけなかった。
 地図も持たず道を見失い、陽は暮れゆき、途方にも暮れる始末である。
 携帯電話のバッテリーは残り少なく、これはいざという時のために取っておくことにして、ひたすら歩くことにした。
 結局、下山したのは21時ぐらいで、多くの方々に心配をかけてしまい平謝りの情けなさに、先週はブログを更新するのも面倒になるぐらいであった。
 ということで本日は二句をアップしてみました・・・
 
2012.10.14 色を数えし
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秋桜の 
  色を数えし
    藍の空


 澄み渡る秋空のキャンバスに、色とりどりに咲き誇った秋桜を見上げてみた。
2012.10.06 夏は終わりぬ
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 種宿し
   夏は終わりぬ
     枯れ蔓よ


このひと夏を楽しませてくれたニガウリは、秋の気配が色濃くなるにつれ萎れ具合が目につくようになってきた。夏の盛りには一晩でひと回りもふた回りも成長するのに随分と驚かされたが、今ではいつまで経っても小さなままの実が元気なくぶらさがっている。
 それも黄色く熟れ腐れ、裂けたところからは真っ赤な種が顔をのぞかせる。

 ところで子供の頃から、これほどまでにニガウリが好物であったかを思い出してみると、父親の晩酌の肴兼おかずとして食卓に度々登場する炒めものにうんざりさせられるばかりの記憶しかない。そしてとどめは甘酢に漬けた漬物である。
 まだまだ未熟な子供の舌にとってみれば、間違いなく大嫌いな食材に他ならない当然なる結果だ。
 
 ではいつ頃から美味しいと感じるようになったのか、更におぼろげながら記憶をたどってみれば、それは随分と大人になってからのような気がする。あれは20年ほど前のグスク(城跡)視察のために、初めて沖縄を訪れた時までさかのぼる。

 あの時は一年で最も過ごしやすい“うりずん”の季節で、涼やかな潮風が昼間の火照った素肌を優しく撫でていく心地よい夜であった。泡盛を片手に“ミミガー”や“ラフティー”など、聞き慣れぬ怪獣のような名前のものをメニュー順に端から注文し、“ゴーヤチャンプル”にたどり着いた。
 すると出てきたのは、あの“ニガウリの炒めもの”である。なんだと思いつつ口にし、泡盛と共に胃の腑に流し込めば、苦みが案外にも美味く感じられた。

 あれ以来、夏がくればスーパーでニガウリはないかと捜し求めたものである。しかしながら置いてる所はまだ少なく、稀に発見することができても、そこには“ニガウリ”や“ゴーヤ”でもない、“レイシー”なる何処かよそよそしい名札がつけられていた。それも1本ごとに丁寧にパッケージされてである。しかし、その姿、形はどこからみても、ごつごつした不格好のニガウリなのであるが・・・?
 だが今ではゴーヤの名称で店先には山盛りにされ、すっかり夏野菜の定番として落ちつき嬉しい限りである。
 
 さて私の育てているニガウリは現場事務所の裏側にある空地だが、ここで発掘調査に参加しているフランス人に、お洒落な雰囲気の漂うレーシーについて尋ねてみたことがある。するとフランスにはニガウリなどという野菜などなく、当然ながらフランス語ではなかった。さらにブラジル人にも聞いてみたが、答えは同じであった。ただしこちらの方は、ニガウリは山に行けば自然になっているもので、それを採ってきて食べるのだという。

 こうしてレーシーの謎は解けぬまま、今年も夏が過ぎ去っていった。そして目の前には種を宿したままの実が、「また来夏も楽しもうよ」と秋風に揺られている。
2012.10.01 紅と染めにし
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咲き濡れて 
  紅と染めにし
    彼岸花


 青空の下で咲き誇っている彼岸花を見てみたいと思い、その日を楽しみにしていた。
 しかし週末の天気は台風の影響で、小雨が降ったり止んだりの生憎の日和となった。
 ならば来週に計画を延期しようかとも考えたが、日を追うごとに寒さが増すなか無理
して出かけることにした。
 だが、そうした不安は見事に裏切られることになった。
 山頂では雨露をしっとりとたたえた花弁が、燃え上がる情熱的な紅となり、その憂いを
含む姿は妖しげに誘惑するかのようであった。 
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