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2012.11.20 天群れ泳げ
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澄み渡る
  天群れ泳げ 
     銀鱗よ


 肌寒さにすっかり着ぶくれした不格好さで足早に道を急げば、ふと見上げた空には晩秋の凛とした朝の空気に見渡す限りの鱗雲が浮かんでいた。
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2012.11.18 百舌鳥の声
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嬉野には佐賀藩と大村藩を分ける俵坂関所があり、その山里に熟した柿がたわわに実っていた

百舌鳥の声
  出湯の空を
    切り裂けど



たまには釣りに行こうかと迷うこともあるが、それでも週末は温泉に通うのがすっかり習慣になりつつある。
嬉野温泉が近くにあるというのはなかなか良いものだ。
肌にまとわりつくようなとろりとした泉質は、湯上がり後もしっとりと残る。
今さら何をオヤジのくせにとも思うのであるが、さすが日本三大美肌の湯である。

そうした晩秋の出湯の里に、百舌鳥の甲高い鳴き声が寒空を切り裂く。
しかしこちらはポカポカ湯船のなか、「今年も色々あったなあ~」などと、まだ一月余りも残しながら暫しの感慨に耽るのであった。
2012.11.12 音を数えつ
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雨だれの
  音を数えつ
    雨やどり

 
 一年が過ぎゆくのは早いもので、今年最初の忘年会が週末にあった。
 二次会まで付き合い、カラオケを2曲ほど歌いきりあげる。
 珍しくさほどの深酒にはならず、少し歩きたい気分で、夜道をてくてくと散策しながら家路につくことにした。

 ところが、どこをどう間違ったのか、すっかり方向感覚を見失い、遂には見知らぬ通りを行ったり戻ったりの迷路状態に陥ってしまった。
 幸いにも11月にしてはずいぶんと暖かな夜であったが、あいにく小雨が降り出してきた。
 
 辺りは深夜の住宅街の中。
 道を尋ねようにもひとっこひとりいない。
 急ぎ足でタクシーを捜そうと先を急げば、目の前になまこ塀が続く路地が現れた。

 そのまましばらく行くと、両側に厳めしい顔をした仁王像が並ぶ寺の山門があり、ちょうど扉が開かれている。
 その構えがあまりにも立派なので、つい吸い込まれるように境内に立ち入ってしまった。
 すると好都合にも、すぐ脇には無人のお堂があるではないか。

 雨が少しおさまるまでの雨宿りと、縁に腰かけ暗闇にしたたり落ちる銀の雫をながめていた。
 耳の奥底にそっと響く優しい雨音である。
 そのうちに酔いも手伝い、ついうとうとと寝入ってしまった。

 雨というものをこんなに身近に感じたのは、いつ以来であろうか。
 なんだかもう随分と昔のことのように懐かしく感じられてしかたない。 


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 さて余談ながら、翌朝あの寺のことが気になり、地図を片手に車を走らせてみることにしたのだ。
 たどたどしい記憶をもとに探してみれば、案外にも簡単に見つけられた。
 それはあの寺が、この地方を治めていた、大村家の菩提寺であったからである。
 どうりで立派なはずだ・・・。

 昨夜雨宿りをさせてもらったお堂の裏手には、代々の大村一族の墓石が豪壮に並ぶ。
 その圧倒するような威圧感に、かつてキリシタン大名であった大村藩が、幕府に対して
棄教したことを痛烈に訴えてかけているかのようであった。



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小浜温泉でオバマ大統領に会った

 思えば偶然にも、今年の7月にオバマ大統領に会ってしまった。
 とりあえず再選おめでとうございます。
 
 できることなら傍若無人なる、中国や北朝鮮を懲らしめてください。
 我が国は“日出処国”から“日和見国”になり果ててしまったので・・・

 
 
 
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上野焼き宗家九兵衛窯の庭先にあった水盤に浮かぶ秋桜


 それは手入れの行き届いた庭だった。
 低い灌木の木の下に何気なく置かれた作品の水盤には、摘みたての秋桜が三つ浮かんでいる。

 ここは日本八古窯のひとつ、上野焼き宗家九兵衛窯の工房である。
 旧い友人が陶芸に始め、その焼きものの里を案内してくれたのだ。

 その日は北九州市に用があり、ついでにそこに暮らす朋と会うことにしたのだが、十年ぶりの再会とあいなった。
 “朋遠方より会いにいく”である。
 そして夜の更けるのも忘れ焼酎を酌み交わせば、思い出話よりもいま凝っているという陶芸の話に花が咲く。

 ならばと彼の通っている陶芸の里を訪れることにしたのだ。
 窯元では当主の子息である渡仁氏と会うことができ、新たな作風への試行錯誤やその技術の奥深さに興味が尽きず、つい聞き入ってしまった。

 そこの展示室を拝見していると、焼酎を呑むのにちょうどいい小ぶりの天目碗が目に止まった。
 値段も手頃である。
 ならばと幾つかある中から、釉調のよさそうなのをひとつだけ買い求めた。
 さっそく翌日のダレヤメにお湯割りした焼酎を注げば、真に幸せ気分なのである。

 さて、次回は長崎に住む私のところに“朋遠方より来る”約束だ。
 そして、“また焼酎も美味からん”なのだ。
 こちらは有田もあれば波佐見、唐津焼きと、窯元をあげれば枚挙がない。
 今宵は歳の分だけ目尻に皺の増えた朋の顔を思い浮かべつつ、買ったばかりの碗にまたいっぱい焼酎を注ぐ。
 

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展示室には趣のある作品が多く並ぶ 


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お湯割りの美味しい季節になりました
2012.11.06 作兵衛さん
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山本作兵衛さんとチロルチョコを積み上げたボタヤマのオブジェ

 山本作兵衛という画家をご存じだろうか。
 いや、正確にいえば、福岡県田川市の炭鉱町に生まれ育った鉱夫で、明治期から戦前の
激動の歴史の中で、日本の近代化を底辺で支え続けた男である。

 絵そのものは遠近法など全く無視した、美術的には稚拙なものなのだが、廃れゆく炭鉱の歴史を次の世代に伝えようとして、千点を超える水彩画を描き続けた記録的な価値がある。
 そこには常に死と隣り合わせの鉱夫の日常が、リアルにそして克明に、体験した者にしか語れない説明文とともに記されている。
 そのいずれもが想像を絶する世界で、往時を生き抜いた先人達の、したたかで逞しい力を肌身で感じとることができる。

 私が初めて作兵衛さんの作品を見たのは、もう15年近く前のことであろうか・・・。
 飯塚という同じ炭鉱町の資料館の奥の方で、どこか控えめに掲げられていた。
 しかし、そこからは得体の知れないエネルギーのようなものが感じられ、その印象はしばらく心の中に棲みついていた。
 それが2011年5月に世界記憶遺産に登録されたことで、改めてその存在を思い起こすことになった。
 ちょうど隣町にある上野焼きの窯元を訪ねていたところ、作兵衛さんの企画展があるのを偶然に知り、少しばかり足をのばしてみたくなったのだ。

 展示会場には田川市に本社があるチロルチョコレートが山積みに、ボタヤマを形づくっており、その向こうに白黒の作兵衛さんの晩年の写真が掲げられていた。
 その表情はこれがヤマの男かと疑いたくなるような、実に温和な笑みを含む顔なのである。

 歴史とは時の為政者や、一握りの英雄のみで作られるのではない。
 名もなき多くの人々がいてこそ、新たな歴史の1ページは開かれるのだ。
 そう思わせてくれる、力強く勇気を貰える作品である。 
 
d-8[1]
 
 先ヤマとして掘削する刺青男には、後ヤマとして上半身を裸で掘り出した石炭を外へと運び出す女もいた。
 あ~ゴットン・・・
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