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この写真を掲載させるだけでも、どうか私の勇気を讃えて、温かい拍手を下さいませ 

 これから翌年の3月まで住むことになるアパートに、本日はリースした家電製品の受け取りをするため初めて行ったのだ。
 その外観はもろに昭和の建物で、名称も後ろにハイツとなどと付くから、まさに想像どおりであった。
 さて室内はと言えば今風に畳敷きをフローリングにリフォームこそしてあったが、間取りはまさに、あの“かぐや姫”の世界そのものである。
 これではキャベツばかり、かじらなければならないではないか。(たぶん40代後半以上でないと分からない)

 まあ、田舎育ちで、貧乏学生でもあった私なれば、この程度のことならまだ我慢できよう。
 いや、我慢しようではないか。
 しかし、今は姿こそ見えないが、あの虫の独特な臭いがしてならない。
 そう、アマメだ。

 まだ私が幼少の頃の話である。
 鹿児島では夕食時になると、あまめがゾロゾロ現れて、食卓は大変な騒ぎとなるのが常であった。
 初めこそカサカサと遠慮気げに部屋の隅で音をたてていたのが、暫らくすると平気で辺りを徘徊して回る。
 すかさず新聞紙を丸め叩き潰そうものなら、逃げるどころか逆に襲いかかるように飛んで来る。
 その大きさも半端ではなく、子供の手のひらぐらいはあるのだ。

 もはやこうなったら食事どころではない。
 「おい、そっちに行ったぞ」などと、家中が大騒ぎとなる。
 既に知識豊かな方々であれば“ゾロゾロ”とか“カサカサ”の擬音からして、いったい何を指し示しているかはおおよそ想像の通りである。
 そのアマメこと、ゴキブリは、人間にとって遠い昔から嫌われものであり、言いかえれば身近な存在でもあったのだ。

 さて、ゴキブリの語源は“御器(食器)かぶり”で、器に残った滓にかぶりつくという意味からつけられた。
 それは明治まで使われていたらしいが、或る辞典で誤植されゴキブリとなったと言う。
 ところで南九州ではゴキブリのことはアマメと呼ぶ。
 九州でも長崎では“ボッカブリ”、佐賀では“ゴッカブイ”と、ゴキカブリが変形したパターンが多いようだ。
 面白いのは沖縄の“トビーラー”で、その言葉通りの生態がイメージでき面白い。

 ところでアマメのことであるが、三重県の志摩地方でも“アマ”とか似たような表現をするらしい。
 どうして遠く離れた二つの地域で、似たような言葉が存在するのか考えた時に、これは古来からの言葉でないかを疑わねばならない。

 つまり南九州は列島本土の最南端にあり、中央より伝播される文化の袋小路の地理的環境にある。
 すると昔の言葉がそのまま定着してしまった可能性が考えられる。
 そして中央に近かった志摩の方も、何かの要因で古来の言葉がそのまま残った可能性が窺えるのだ。

 ほら、スーパーでもよく見かける「きな粉」もそうで、見たととおり“きな”は黄という色を表す。
 そして南九州では黄色を表現する時に、よく“きな”なんて言うが、これも古い言葉の名残りである。
 これ以外にも古い言葉がそのまま残り、今でこそ方言として残っている例はまだまだ多い。

 そうした現象は南九州に限らず、全国的に存在しているはずだ。
 今風に言えばお洒落な京のトレンドな言葉を懸命に真似し、しかし流行が去っても使い続けるようなである。 
 ちなみにゴキブリについて話を戻すと、最近まではアブラムシとして表現される方が多かった。
 ところが『ゴキブリホイホイ』なる、害虫駆除の商品が登場してから、どうやらこちらの呼称の方が全国的になったようである。

 などとここで幾らウンチクを述べたところで、今週末からはあのアマメの気配が漂うアパートに移り住まなければならない。
 すると夜中に寝ている私の枕元を、カサカサされたらと想像するだけで、眠れぬ拷問の夜が待ち受けているようで優鬱になるばかりである。

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鬼の穴古墳_convert_20130629100946

 仕事がら色んな土地に住むことが多い。
 そうした事情から、少なくとも年に1回は引っ越しをしている。
 まあ、引っ越すといっても自宅は東京にあるのだが、そこから必要最小限の
家財道具を段ボールに詰め込みむ程度のことである。
 それでも1年近くを地方で過ごす訳であるから、衣類だけでも春夏秋冬ものと
結構な量になる。

 そして今年は早くも2回目の引っ越しと相成った。
 今、住んでいる所はレオパレスで、1か月前に入居したばかりなのだが、様々な
都合もあり、近くのアパートに移ることになった。
 さて、その今の寝ぐらの話についてであるが、ドアを開けると目の前に古墳が
ドーンとあるのだ。

鬼の穴古墳4_convert_20130630134247

 最初はこれには驚かされた。
 何でも6世紀代に造られたもので、横穴石室の構造になっている。
 その名称も「鬼の口古墳」と何だか怖そうである。
 毎朝仕事に出かける際には、この石室開口部が真正面にあり、「いってらっしゃ
い」と必ず見送ってくれる。
 そして帰宅した時も「今日は何か面白いものが出ましたか・・・」と出迎えるのだ。

 うーん。
 やはり仕事がら妙な心境である。
 それも来週までで、今度は処刑された隠れ切支丹の首塚跡が近くにある。
 うーん。
 やはりこれも因果な商売ということなのか。
 などと唸ってばかりの日々が続きそうなのである。
2013.06.23 作兵のこと
久世丹後守・convert_20130623103201

 ちょうど原稿が一段落したので、作兵が歩いた長崎をさるいてみたくなった。
 少し調べたい事もあり歴史博物館に足を運べば、久世丹後守殿の御裁きがまさに始まろ
うとしているではないか。
 何でも本日の吟味は唐人屋敷に穴を掘り、抜け荷をした罪であると言う。
 これが実際の犯科帳にもとづき演じられているので、また興味深々、面白い。
 
 さて作兵もこの奉行所で拷問を受け瀕死の重傷を負うのであるが、その原因をつくって
しまったのが遠縁の理左衛門である。
 理左衛門は蓆に寝かされた作兵を見つけると、急ぎ大八車に乗せ自宅へと連れ帰る。
 その道筋を確かめながら歩いてみる。
 すると高台にある奉行所から家のある油屋町に向かうには、長い下り坂を行かねばなら
ない。
 そうなると大八車の車輪は理左衛門の背中を否が応にも押し、小走りさせずにはいられない。
 走りながら心の中で、理左衛門は作兵に詫び続けなければならなかった。


油屋町_convert_20130623104226
 油屋町の裏通りは古い家々がひしめく、どこか懐かしさを感じさせる


 油屋町のすぐ隣には丸山町がある。
 江戸時代であれば江戸の吉原、京の島原と肩を並べるほどの賑いで、遊郭が所狭し
と軒を連ねると、そこかしこから遊女の嬌声や三線をつま弾く音が聞こえていたので
あろう。
 若い作兵はそんな雰囲気に気圧されながらも、あてもなくウロウロと歩き回るのである。

 
丸山_convert_20130623104032

検番_convert_20130623104340
 ここは戦後も花町として栄えたが、昭和33年の売春防止法が制定されると、そ
の面影は僅かなものである
 


 そんな作兵の懐具合は寂しいもので、それは今の私も全く同じである。
 横目で花月を眺めつつ、一生に一度くらいはこんな料亭で芸者を呼んで、豪勢に酒を
呑みたいものだとつくづく思う。


花月・convert_20130623103937
 坂本龍馬や率いた亀山社中の面々も、よく丸山で遊んだはずである
 確か英国艦イカルスの水夫2名殺害されのもこの辺りで、龍馬達に嫌疑がかけられた


2013.06.21 目玉は何処ぞ
目玉どこぞや1120420_convert_20130621143249
 長崎は台風など何するものぞと田植の真っ最中
 さすが日本の農家は逞しいのである

嵐きぬ
  目玉は何処ぞ
    空模様


 台風4号は九州上陸を目前にして、あっけなく温帯低気圧へと変わってしまった。
 どうやら人騒がせなだけで、大きな災害に至る事なく安堵した。
 しかし最近にない根性無しに、こちらとしては準備万端だっただけにやや拍子抜けである。
 
 そう言えば私がまだ小学校にあがる前に、かなり大きな台風(枕崎台風)に直撃されたこと
があった。
 それこそトム&ジェリーのアニメにでも出てきそうなぐらい、父親は窓という窓をこれでも
かとガンガンに釘で板を打ち付け、その後は私を背負い近くの中学校へと避難するのであった。
 そこは父親の職場で、職員室にはよく家に遊びに来ていた顔見知りの先生が大勢残っ
ており(今でいう帰宅困難者なのである)、一緒に遊んでもらったのを思い出す。
 そしてこうした非日常的な出来事は、怖いと言うよりもこれからいったい何が起ころうとし
ているのか、訳の分からぬ興奮となりワクワクさせてくれた。
 
 こうした行事はそれからも毎年のように繰り返さる事になる。
 何故ならば当時は台風銀座などと呼ばれていた鹿児島に産まれ育ち、家も町営住宅の
安普請だったので、これはお盆や正月と同じぐらいの恒例となってしまったのである。
 それでも台風が近づくと不思議と興奮してしまうのは何故だろう・・・。 

 それは大人になった今でも、少なからず習性として残っているようだ。
 しかしながら被災者ともなればそれどころではないはずで、こうした不謹慎さはやはり改め
るべきだと反省したりもする。
 とにかく最近の自然災害には心を痛めるものが多いが、そうした事にならず本当に良かった。
 うん、良かったのだ。
 だからこそ「目玉は何処ぞ」ととぼけられるぐらいが、台風は丁度いいのかも知れない。


 
2013.06.18 浮世花
放虎原処刑場_convert_20130618063742

露草を 
 血潮に染めん
  浮世花


 万治3(1658)年、旧暦の7月27日。411名の潜伏切支丹が斬首された。
 彼らは大村藩の郡村に暮らす名も無い普通の百姓に過ぎなかった。
 だが幕府は禁教令を犯した罪で、村ごと608名の捕縛した。

 郡崩れの始まりである。
 当然ながら幕府の取り調べは厳しく、牢内で死んだ者78名、永牢20名、
転んだ者99名。残りの老若男女は処刑と相成った。

 刑は大村藩とその周辺諸藩で、同日の真夏の盛りに粛々と執り行われた。
 その放虎原処刑場跡に立つ。
 記念碑の向こう側には梅雨も明けぬのに早くも入道雲が湧き、あの日も
このように蒸し暑かったのだろうかと思いを馳せてみる。

 
 それぞれの土地には、それぞれ独特の空気感なるものが存在する。
 それは地理的な制約に根ざしたものであったり、或いは気候的な特色、歴史的
背景が長い歳月の中で醸造され、個性ある地方文化として育まれてきたもののよ
うな気がする。
 だから旅先でそうしたものを、思わず見つけた時の嬉しさは長く忘れられない。

 ところで、私の好きな民俗学者に宮本常一がいる。
 彼はそうしたものを見つける天才であった。
 例えば初めて訪れた土地があれば、まず小高い丘に登り、町の風景を眺めること
で、そこがどのような土地なのかを肌で感じとるのを習慣としていた。
 私にはそうした特別な嗅覚は、残念ながら備わってない。
 だが、実際にこの目で見て、面白いなと感じる風景はある。

 そこで今回はマチの色について、少し紹介してみたい。
 日本酒で有名な東広島。いや前の地名で呼んだ方が分かりやすいだろうから、西
条を訪れると立派な家が多いのが目につく。それらはいずれも赤瓦の屋根で、田んぼ
の中に出城のようにポツンポツンと浮かぶ風景には驚かされる。
 何でもここは広島県内でも雪の多い地域ということで、放熱効率の高い赤瓦が選ば
れると聞いた。
 それなら黒瓦の方が良いのではと私は思うのだが、地元の方がそう言うのなら仕方
ない。

赤い屋根_convert_20130611105038


 西隣の山口県にも独特な色へのこだわりがあるようで、わざわざガードレールが黄色
く塗られている。
 こちらはヒマワリの黄色をイメージしてのようである。
 何故ヒマワリかは調査不足なのでまたの機会として、全国的には白が普通なのに車を
走らせているとどうも違和感を感じて、こちらも仕方ないのである。

黄色いガードレール_convert_20130611102316

 つまりは仕方ないことでも、こうやって眺めてみると案外に面白いものなのである。
2013.06.10 カエル泣く
かえる泣く

カラカラと
 空梅雨ぞらに
  カエル泣く


 どうやら今年は雨の少ない梅雨になりそうだ。
 例年なら賑やかな蛙の声も、今年は心なしか元気なさそうにも聞こえてくるから不思議なものである。
 おやおや道端にはカラカラに干からびた蛙の干物も出来あがり。
 まさに蛙にとっては泣きたくなるような空梅雨なのである。

 復 活 
  随分と長くお休みしてました。
  フィールドでの仕事からデスクワークになった途端に、更新する気力が失せてしまいました。
  また、今日から外での仕事になりました。
  だから復活なのです!
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