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ぺんね・_convert_20130831210752
昼間の酒はどうして酔いがはやいのだろう?

 台風15号は九州上陸を目前に温帯低気圧に変わった。
 しかし昨日からの雷雨は半端でないどしゃ降りで、週末は釣りに行こうか、それとも温泉でのんびりなんて迷わなくて済んだ。

 おかげできっぱり諦めもついたことで、朝から原稿に集中できそうである。
 その前に腹が減っては何とやら。。。
 さて、夜も待てそうにないので、昼食を兼ねたダレヤメタイムに決定なのだ。
 あ、そうそう昨日獲ってきたゴーヤが1本あったっけ。

 ところで台風の日は根拠はないがワインと言うことで、それに合うのはこれまた根拠がないイタリアンで、さっそく用意すべく棚をかき回せば、近くのスーパーの特売で買い込んだペンネとオイルサーデンを発見。
 後はパパッと茹でて炒めて、具はゴーヤとトッピングに塩昆布をのせて完成だ。
しかしこれがなかなか美味いので、レシピは以下のとおり

お試しあ~れ


  材 料  
  ペンネ     表示の茹で時間より早めに湯切りしする、炒める時にふやけてしまうから
 オイルサーデン ペンネの量に合わせて適当に 辛いのが好みならたくさんどうぞ
  ニンニク    ひとかけ  臭いのが好きならたっぷりと
  鷹の爪     好みに応じて  今回は3本いれたかな
  ゴーヤ     炒め過ぎると苦みがとび、しんなりとなり歯ごたえがなくなるので注意を
  塩昆布      「ふじっ子」より「塩っぺ」がいいらしい


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夏カレー_convert_20130829215640
自家製のコーレーグスを垂らせば辛さは倍増  <(`^´)>

 定番のタマネギ・人参・ジャガイモはもちろん、夏野菜の茄子・オクラをこれでもかとぶち込んだチキンカレーを作ってみました。
 それに忘れてならないゴーヤは、、今回が初めての試みなのです。
 鷹の爪もこれでもかこれでもかと放り込み、いざ食べてみたのだが味は微妙。

 当たり前のことなのでしょうが苦辛い、実に妙なカレーになってしまいました。
 はりきって沢山作ってしまったせいで、たぶんこの先10日間ぐらいは、このカレーを肴にちびちびと呑むことになりそうなのです。
 まあ、何でも肴になるというのと、カレーにゴーヤは合わない新説の発表なのでした。


2013年ゴーヤ、_convert_20130829215452
今年もたくさん実をつけてくれたのです

 ところでいきなり話は変わりますが、焼酎で大好きなコマーシャルがあります。
 銘柄は“黒霧島”で、御存じの方も多いかと思います。
 あの「九州の味とともに」の、黒キリのことです。
 もう、ずいぶんと前からシーリーズで放映され、肴になりそうな九州各地の郷土料理を紹介し続けてます。

 そこに知っている料理があると懐かしく思い、初めて知るものはさっそく出かけて食べてみたくなるから、あら不思議なのです。
 とにかく九州は海山の幸とも食材が新鮮で、調理方法も地域性が豊かなので飽きることがないのは悦ぶべきことなのかも知れません。
 
 しかし3年ほど前のでしたか、短期間ながら広島に住んでいたことがあり、やはりコマーシャルで中国編として広島の牡蠣を使った郷土料理が紹介されていたのを思い出しました。
 と言うことは中部編とか、関東編とかあるのでしょうか・・・?
 いやいや、更に北陸編や東北編、北海道編と・・・
 う~ん。そんなことを考えていたら、今宵も猪口を片手に眠れそうにありません。
 
 とりあえずそのHPを載せておきますので、興味のある方はどうぞ・・・
 ただし呑み過ぎにはご注意をなのです!

http://www.kirishima.co.jp/aji/2011/winter/index.html

kuro-kirishima_img_01.jpg

イイダコ_convert_20130823084918


 大村湾で獲れるイイダコは美味いので有名だ。
 それを地元の方に頂き、さっそく酒の肴とする。
 今年は異常に暑いせいで、赤潮が発生したりしてなかなか獲れないそうだ。

 このイイダコとは10㎝前後の小型で、飯ダコとも書き、胴の部分に米粒のような卵がいっぱい詰まっていることからこう呼ばれている。
 今回はまだ産卵前のシーズンで残念だが、本来なら茹でたものを酢味噌を付けて食すと格別なのである。
 
 それとやはり貰った茄子と、いま苗から育てているゴーヤで味噌炒めも作ってみた。
 やはり夏はゴーヤがなければ始まらない。

 そう言えばエギの代わりに、ラッキョウに針をつけたものでタコを釣るのを、何かで読んだ記憶があるのだが、今度試してみるのも面白そうである。
2013.08.13
ウサノピア_convert_20130812220346
大分県宇佐市には海軍航空隊があったことで、零戦に関する多くの遺構や遺物が残されています。近くには平和資料館や掩体壕も整備されているので、企画展と併せての見学が可能です。


 いま上映中の『風立ちぬ』や、12月の公開が待たれる『永遠の零』と、太平洋戦争時に向かうところ敵なしと恐れられた零戦がちょっとしたブームのようだ。
 そうした私も2年ほど前から零戦に関わる仕事がたて続き、小学生の頃プラモデル作りで夢中になった燃えさしに火が付いたように資料を読み漁っている始末である。

 さて21世紀を向かえても世界は尚もきな臭さを増すばかりであるが、この日本においても隣国との領土問題で否がをにも緊張の高まりをみせている。
 そこに過去の遺物である零戦を引っ張り出しそうものなら、何だか胡散臭い奴だと思われかねそうであるが、臭いものに蓋をするのではなく、自分たちの歴史として直視する勇気は持ちたいものである。
 それには当たり前のことながら、直ぐに右や左などと騒ぐつまらぬ思想と、史実はきちんと分けて考えゆかねばならない。
 しかしこれが出来ず混同している人が、あまりにも多すぎるようだ。
 
 ところで零戦の正式な名称は“零式艦上戦闘機”と言い、日本海軍の主力戦闘機として活躍したことは広く知られているのではないだろうか。
 その高い戦闘能力と航続距離の長さは、敵対する米国を大いに震撼させ、緒戦においては常に作戦を優位に導く上で欠くことのならない存在であった。
 しかし戦争が長期化に及ぶと後続機の開発の遅れや、米軍の徹底した対零戦研究が、いつしか名機を旧式のものへと追いやってしまった。

 それでも零戦は飛び続けねばならぬ宿命を背負わされていた。
 いよいよ敗戦の色が濃くなると片道の燃料と爆弾を抱え、操縦士ごと敵艦に体当たりしなければならない悲運の歴史を刻むことになる。

 そうした資料館が特別攻撃隊の最前線基地であった鹿児島の知覧や鹿屋にはある。
 ここから多くの若者が片道切符の、決して還れぬ死出の旅に向け大空に飛び立ったのを思うと、つい胸が詰まってしまう。
 しかし戦争は何も戦地だけで行われるものではなかった。
 激戦の末に硫黄島が米軍の手に落ちると、ここを飛び立ったB29が本土を直接に爆撃することが可能となった。
 いわゆる空襲のはじまりである。
 雨霰の如く焼夷弾の絨毯爆撃に曝されたのは、何も軍事基地や工場だけでなく大きな都市もその標的となった。

 そこには武器を持たぬ多くの民間人が暮らしているのを知りながら、こうなるととても戦争とは呼べない唯の殺戮である。
 そして、その延長線上にあるのが、忘れてはならない広島と長崎だ。
 戦争がいくら非情なもので認める訳にはいかないが、暗黙のルールなるものは存在する。
 そうでなければ敵味方関係なく、人類そのものが、この地球上から消滅してしまうことになりかねない。

 
掩体壕4・_convert_20130812233336
 東京都府中市白糸台の住宅街に残る掩体壕は、帝都防衛のため陸軍の飛行場があった場所です。つい最近まで無機質なコンクリートドームが空地に放置された状態でしたが、ようやく昨年に保存整備を終えることができました。

掩体壕2_convert_20130812213344
 整備前の掩体壕の内部に入り調査すると、資材不足のため鉄筋の代わりに丸太が使われていた跡が認められ、貧窮を極めていたのが理解できます。ここには飛燕が格納されていました。

掩体壕・_convert_20130812235859
 長崎県大村市には東洋一を誇る大規模な第二十一海軍航空廠が置かれ、24時間体制で紫電改を量産していました。しかし空襲により壊滅的な打撃を受け、その後は周辺に分散して生産は継続されました。ここでは終戦までに工員や徴集された学生など400名が犠牲となっています。いまでは公園に残る掩体壕が、かつての面影を伝えるのみですが、公園の遊具として手すりや滑り台が付け加えられ姿は残念な気がします。
 
 
 ここに戦後68年目を迎え、戦争を体験された方々も高齢化と共にだいぶ少なくなってしまった。
 そして戦争遺構も高度経済成長の陰で、戦争はまるで無かったかのように次々と破壊し尽くされた。
 それでもかつて基地があった場所に、忘れ去られたように何らかの遺構を見出すことが辛うじてできる。
 掩体壕もそのひとつで、米軍の爆撃から残り少なくなった戦闘機を避難させるため造られた施設である。
 そうした遺構がいま見直され、少しずつあの戦争の“本当の真実”を語りはじめようとしている。
 
 どうか探してみて欲しいのです。
 身近に眠る戦跡遺構を・・・
 そして静かに耳を傾けてください。

 
 零戦2_convert_20130812155953
宇佐市平和資料館には永遠の零で使われた21型の実物大模型が展示されています。

零戦3_convert_20130812160157


コクピット_convert_20130813063621


2013.08.07 祈る朝
原爆ドーム_convert_20130807215121
昭和20年8月6日8時15分 広島  (原爆ドーム)


平和像_convert_20130807214447
昭和20年8月9日11時02分 長崎  (平和祈念像)


蝉時雨 深く眼を閉じ
  祈る朝
 戻らぬ日々は 彼岸の彼方
 


 あの日の僕はどこまでも澄んだ青空を見上げていたんだ。
 ゆらりゆらと落下傘にぶら下がり、落ちてくる鉄の塊を眺めていたんだよ。
 すると眩いばかりの光が弾け、僕の体はなにもかも消え失せてしまった。
 今はコンクリートの壁にへばり付いた影が、僕が生きていた証なのさ。

 テレビのニュースを見ていたら、偉い人が、偉そうなことを、偉そうに話している。
 「ねえ、また戦争が始まるのかな」と、 それを見ていた彼女が不安げに言った。
 「うん、ひょっとしたらそうなるかも知れないね」と、 明日の仕事を気にしつつ僕は応える。
 何処かの国の、何処かの出来事のように、何処かで仕入れた知識を、わけ知り顔で語り合う。

 どうかお願い。
 あの瞬間の僕の姿を探してみて。
 目まぐるしく過ぎ去る歳月の中に、くすみ色褪せてゆく黒い染みを。
 小学生だった僕は、今でもここでこうして生きているから。

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大村花火_convert_20130801225730

過ぎし夜に 
  君と見あげし
     夏の花
 湯あがり匂い
   指をからめん


 東京に向け、20時発の最終便が離陸するのを待ってはじまる花火。
 海上に長く延びた滑走路の先が、打ち上げの場所だから。
 その飛行機が、いま赤い灯を点滅させて闇の向こうに遠ざかる。

 一時間にも満たない夏の夜の楽しみ。
 数は少なく、小振りなものばかり。
 それでも大勢の人々で賑うものより、何故か心躍る田舎での花火大会。

 急かすように小さな体で、母親の手をぐいぐい引っぱる男の子。
 仲よく腕をくみ前を塞ぐ若い恋人同士。
 みんなみんな同じ方向を目指し歩いてゆく。

 急ぎシャワーで仕事の汗を流せば、スーパーで缶ビールを一本くださいな。
 後は自転車キーコキーコ、海岸通りへ走らせ。
 すると海風の向こうに、ドーンと鮮やかな花が弾け散る。

 さてさて目的の防波堤の上、たくさんの人が夜空に目を凝らす。
 缶ビールをプシューと開ければ、ピューン、バラバラバラとしだれ柳。
 潮騒の波間にも銀麟がキラキラ揺れている。
 
 こうして独りぼっちで眺める花火も何回目。
 少しだけ遠い思い出はシャンプーの匂い。
 ポンポンポ~ンとまた夏の夜空に花が咲く。

 
 
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