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2013.09.30 平兵衛さん
 酒に肴を合わせるべきか、それとも肴に合う酒を選ぶべきか、いま私の中で最も頭を悩ませる種となってきた。
 そもそも問題の発端となったのが平兵衛酢である。
 このあまり聞き慣れぬ名前ではあるが、宮崎県民の間ではかなり好まれて使われる柑橘系の食材だ。

 隣県豊後のかぼ酢と比べて酸味がきつくなく、それでいて豊かでさわやかな風味がある。
 それを沢山頂いたものだから、せっせと毎夜の如く酒にたっぷり絞り垂らす。
 とにかく旨い。
 頂きものだからとお世辞に、媚びているのでは決してない。
 本当に旨いのである。

 
サバ味噌convert_20130930194301
芋焼酎に胡瓜の酢物とサバの味噌煮

 その内にあるまじきことか、私は大いなる罪を犯してしまった。
 何と浮気をしてしまったのだ。
 薩摩の純情な芋子さんから、瀟洒な肥前長崎の麦子さんへと・・・
 どうも匂いに癖のある芋子さんでは、平兵衛さんの良さを上手く(旨く)引き出せなかった。
 世間でよく言うところの、性格の不一致である。
 ならばと癖のない上品な麦焼酎の麦子さんに、つい手を出してしまったのだ。

 こうなるともう止まらないのが人情というもの。
 気がつけば麦子さんの上品さは、逆に物足りなさを募らせてしまう。
 さよなら麦子さん。
 そして遂に魅惑の妖しさで迫る、エゲレス女にまで手を出してしまった。
 Miss.Jinさんである。

 気付いた時にはもはや後戻りのできぬ道。
 毎晩のごとくjinと平兵衛の熱い密会は重ねられる。
 肴は醤油ベースの和風から、カタカナ横文字のjinさん好みへと徐々に変わってゆく。
 いや失礼。
 肴ではない、あえてrelishとでも言おう。

 なかなかやるでないか、日向のいもがらぼくと。  (訳:芋がら木刀 素朴でお人好しな宮崎県男性のこと)
 ♪“ジャガジャガマコッチ エレコッチャ~”  (訳:本当に本当に 大変に驚くべきことだ 宮崎民謡の一節)
 なんてひとり可笑しんでいたら、「これってジントニック」と、たったいま気がつく、ほろ酔い気分の私なのでした。

大根葉convert_20130929120820
jinに大根葉と小海老の炒め物にカマスの塩焼き
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すっかり朝晩が涼しくなりましたね。
今年の夏は例年にない暑さでしたが、ここにきて疲れが一気にでて、体調を崩される方も多いようです。
私は馬鹿がつくほど風邪にも縁がない元気さですが、但し夕方近くになると眠たくてたまりません。
ですので少しは酒の量を減らし、早く寝ることに努めたいと思うこの頃なのですが・・・



小浜青空_convert_20130923115300
大海吹き渡る潮風に、ブラブラすっぽんぽんの下半身を曝せば、
大きくなるは気ばかりなり〜



向日葵_convert_20130929120131
子供の元気な遊び声が聞こえる風景とは本当にいいものです


稲穂convert_20130929115721
あともう少しで、ほかほか美味しい新米の季節


有明月convert_20130929121050
澄んだ青空には白い満月がよく似合うのです


千綿駅convert_20130929121715
何処か遠くに出かけてみたくなる、鞄ひとつ抱えて
晩夏の“寅さん病”とは、此れ如何にせん



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今日も恙無く、無事に沈みゆく夕陽を、こうして眺めて過ごすことができました
ー感謝ー

2013.09.23 橘湾落陽三景
小浜夕陽_convert_20130923115434
今日も、今日と言う一日が終わります

小浜夕陽2_convert_20130923115531
人は思い思いのことを頭に描き、思い思いの気持ちを胸に落陽を眺めるものなのです

小浜夕陽3_convert_20130923120042
釣りに行くのは魚を釣るのでなく、海を見に行ける理由ができるから・・・

小浜茂吉convert_20130923133623
斉藤茂吉の歌碑

ここに来て 落日を見るを 常とせり 
海の落日も 忘れざるべし


茂吉は大正から昭和にかけて活躍したアララギ派歌人のひとり。
一時期を長崎医学専門学校(長崎大学医学部)に席を置き、その際に此処を訪れたことがあった。
こうして同じ場所に立ち、橘湾に沈む落日(いりひ)を眺めれば、茂吉の飾らぬ耽々とした言葉が実際の風景をよりひきたたせてくれるかのようである。

2013.09.22 終は訪ずる
小浜 バッタ4_convert_20130923014442

  いく夏を
    惜しむからんや 
     虫の声 
    誰尋ねんと
     終は訪ずる 


 本日が誕生日であることをすっかり忘れていた。
 前の晩から夜釣りに出かけ、夢中になり過ぎて普段の朝をむかえてしまった。
 その帰りに温泉でゆっくりしていて、はじめて思い出したしだいである。
 まあ、よくもこれまで大きな病気などせずに、元気でいてくれたこの躰には、心より感謝せずにはいられない。
 
 その躰をしみじみ眺めてみる。
 野外作業に黒く日焼けした手の甲、鏡に写し出された顔は皺が目立ちはじめ、お腹周りにの贅肉も少し気になる。
 しかしそこには相応の肉体があり、酷使してきたものだと少しばかり反省してみたりする。
 ところで誕生日とは一定年齢に達すると、残り少なくなってきた時を報せる装置のような気がするのは、何も捻くれた私の性格のせいばかりではないだろう。

 湯上りにメールをチェックすると、そこにはいくつかの「おめでとう」文字があった。
 それぞれに「ありがとう」の返信を済ませ、火照った躰を冷まそうと海岸まで歩けば、連休中の温泉街は多くの観光客で賑わいをみせる。
 嬉しさのあまり興奮し過ぎた小さな子供がはしゃぎ回り、それを懸命に追いかけ叱る親がいる。
 笑みを絶やすことを知らない若いカップルがひとつのジェラートをつつきあい、熟年夫婦が揃いの旅館の浴衣でカラコロ下駄を快く鳴らしながら歩く。
 何もかもが平穏で、何もかもが安らぐ光景として映る。

 私が死を初めて意識したのは、確か小学2年ぐらいのことであっただろうか。
 担任が「人は生まれた瞬間から死にむかって歩きだしている」と、語ってくれた遠い記憶を思い出す。
 あの頃の未熟な感性と体験では、それを実感するには貧弱過ぎた。
 それよりも自分だけは、時は永遠に授けられる特別な存在であるかのような奇妙な錯覚しかなかった。

 潮風に吹かれていると、左手に何かがぶっかったのを感じた。
 その手をゆっくりと目の高さまで持ち上げると、小さなバッタがとまっている。
 ひと夏しか生きられぬこの生物にも、それなりの命は存在するのだ。
 当たり前のことであるが、そうした常識を意識せずに誰もが日常を生きている。 
 それはこのバッタと同じ私もだ。
 だからせめて誕生日には、頭の隅に追いやったはずの死について、思い出してみるのも悪くはないのである。

 あの一休宗純も髑髏を片手に、正月のめでたい日に都を説法して回った伝えもあるではないか。
 「浮かれてばかりで、新しい年が来ると言うことは、またひとつ死に近づくことでもある」
 だからこそ与えられたその日その日を悔いなく大切に生きなさいと、やはり捻くれ者の一休さんが諭す。
 かく言う私も齢五十三となり、季節は晩夏への門がまた一歩近づくのであります。
 
2013.09.19 鳴くは腹虫
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 黄金月
   燃ゆ彼岸花
     青稲穂
  夕暮れそぞろ
    鳴くは腹虫


 中秋の名月。
 一目みようと暮れなずむ田圃を歩けば、まん丸の見事な月が山の端から顔をだす。
 足元には燃えるような紅蓮の彼岸花が、まだ青さを残す稲穂の畔を縁取るように咲き誇る。
 
 徐々に闇が深みを増せば、その鬩ぎ合う色彩は極みへと達する。
 そんな幽玄なる一瞬に、秋の虫も余興を添える。
 するとどうだろう。
 我が腹の虫もつい誘われ鳴きだす。
 さあ、この風景を焼酎の肴にたんと目に焼き付けたらならば、早く帰れと腹の虫が急く。
2013.09.18 土産いろいろ
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京都銘菓 阿闍梨餅

 京都に出張した知人から土産を貰った。
 「ねえ、八つ橋と阿闍梨餅、どっちがいい」
 私は修学旅行以来、ことあるごとに貰う八つ橋には少々飽きていた。
 「阿闍梨餅」
 即答である。
 その知人は旅先からの鞄を開けると、手のひらにのるほどの小箱を差し出した。

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福岡銘菓 五十ニ萬石

 それから間もなくして、今度は里帰りの土産だと、またもやお菓子を貰った。
 今度も同じくらいの小箱で、“五十ニ萬石”の最中だった。
 巴藤の紋は筑前黒田家の博多土産。

 「ありがとう」
 とりあえずお礼を云い、私もリユックをグルグルまさぐりお返しを取り出す。
 あったあった、長崎名物と云えばカステラ。
 しかしふんわりとした生地は、衣類の奥で見事に潰れてしまっていた。
 「ごめんなさい・・・」
 申し訳ない顔を尻目に、その女性は笑顔で応えてくれた。
 「うん、美味しさには変わりはなかばい」

2013.09.15 祈りの日
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 仏教徒の墓石に混ざり、天然の石を立てただけのが切支丹の墓標
 よくみると表面には釘で引っ掻いたような、粗雑な十字架の陰刻が薄っすらと残る


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 山里に
  隠れ潜みし
   祈りの日
  今に伝えん
   苔むすぶとて



 つづら折れの曲りくねった山路を、気がつけば名も知らぬ山里へと迷い込んでしまった。
 引き返そうにも車を反転させるだけの幅などない。
 すると目の前に現れた木切れの小さな案内板には、切支丹墓碑なる文字が色褪せ、今にも消え入りそうに佇む。
 こうした光景をもう何度みただろう・・・
 
 かつて彼らの受けた受難の時代に思いを馳せる。
 しかしそれは私にとって全く実感の伴わぬもので、教科書の数行に書かれた記憶でしか計れない。
 死よりも辛く、酷い責め苦に虐げられ、それでもデウスの教えを頑なに守り、密かに祈り続けねばならなかった哀しみの歴史。
 ねえ、君には、あのオラショの切ない歌声が聞こえるだろうか。

     あ〜この春はなぁ
     桜の花かや 散るじるやなぁ
     また来る春はな 蕾開く花であるぞやなぁ

2013.09.12 丘より眺む
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佐賀県武雄市玉島古墳

 いにしえの
   丘より眺む
     稲穂波


 かつてこの地を治めた為政者も、山に囲まれた狭隘な平野に揺れる稲穂の波を、 こうして眺めていたであろうか。
 それは1500年も前の話。
 私が生まれるずっとずっと前のこと。
 いや、私なる存在が、この同じ時間軸上の先に存在し得るのかすら予測できない、天文学的な奇跡を信じなければ語れない過去の物語。

 例えば先祖の誰か一人でも欠けたとしたら、此処にいま存在する私は、つまり跡形もなく消え失せてしまう。
 そんな危うい演算と偶然の延長に、この必然たるひとつの命は紡がれてきた。
 縦の糸と横の糸。
 絶妙なる織りは、再び連綿たる織を紡ぎ出す。
 私の私なる存在は、次なる私の私達なる存在として未来永劫に巡り続ける。
 だからこそ私 はこの稲穂の波を 、過去に遡り眺めていた記憶を手探りせずにはいられない。
 小さな丘に埋葬され記憶が途絶える以前の、遠い遠い懐かしき思い出を探しに・・・
2013.09.11 実も肥えん
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 秋風に
   遊び戯れ
     実も肥えん



 釣竿に温泉セットと着替え、それにカメラを車に放り込めば、後はハンドル片手に行く宛てなどない小トリップ。
 行った先に海があれば糸を垂れ、小さな温泉を発見してはちょっと一息、心和む風景があればシャッターをきり、更に道の駅でつまみ食い。
 もし山があれば何時でもビバーク出来るよう、テントからコンロまで何でもござれの、西へ東へ、北へ南と風の吹くのにまかせ気の向くまま。
 しかし最近のガソリンの値上がりは、困った事に右肩上がりの下げ止まり知らず。
 自慢ではないが愛車はリッター10km未満の、極めて省エネにはほど遠い時代錯誤なり。
 それでも構わず秋風に戯れ遊びて、我が身も肥えん。
 そして月末に届く請求書にため息ひとつ・・・
2013.09.10 いで湯浴み
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いで湯浴み
   川の流れを
     傍に聞き


 日曜日。
 久しぶりに温泉へと足を運ぶ。
 此処の泉質は炭酸水素塩泉の、とろりとした肌触りで肌に優しい。
 だからシャンプーなどしようものなら、いくら洗い流してもおちない感触が手に残る。
 たまにそうした事を知らない入浴客は、いつまでもシャワー全開に頭を突っ込みジャブジャブ、たまに首をひねりひねり懸命に泡のない髪をかき回す。
 その後ろ姿が可笑しくて、つい洗い場に目をやり期待してしまう私は、やはり意地が悪いのだろうか。

 露天風呂の側には川が流れ、絶えず水の流れが響いてくる。
 ゆっくりと湯に体を横たえ、そうしたせせらぎの音、虫の鳴き声など聞き入れば、時の経つのが何と早いものであろう。
 時計を見ると2時間くらいはあっという間で、慌てて湯船から飛び出せば、川沿いをジョギングする人と目が合ってしまう。

 もちろん妙齢の若い女性もいれば、いま流行りの熟女や、それ以上の枯女(ごめんなさい)なる方々もいる。
 あっと思った時には、もう全てが後の祭り。
 こうなっては焦って股間を隠すなど、逆に恥ずかしくなるばかりだ。
 まあ、自慢できるほどのモノでないにしろ、見せて減る訳でもなく、なすがままに任せるしかない。
 そして我ながら随分と図太くなったものだと苦笑いひとつ・・・

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2013.09.07 休日の朝は



 休日の朝は散歩がてら、近くのスーパーまで出かけるのがすっかり日課になってしまった。
 開店間もなく朝一番のスーパーは、運び込まれたばかりの新鮮食材が積み上げられ、それを店員が手際良く棚に並べていく。
 そこに大勢の客が買い物かご片手に右に左へとするものだから、あちこちで渋滞の続出である。

 野菜などは地元の農家で獲れたものを、生産者の名前を貼り売られている。形こそ悪いが値段は手頃で、野菜本来の香りがあり旨いのだ。
 それに何と言っても楽しみなのは鮮魚コーナーで、赤や青色など鮮やかな色彩のものが、一匹まるまるのまま並ぶ。
 地方では当たり前の光景であるが、東京では切り身をパックしたものが大半で、元の姿形など全く想像がつかない人が多いのではないだろうか。
 ましてや包丁を手に、自分の手で捌くなど問題外の話である。
 
 
 此処長崎県は海岸線が長いと言う事もあり、海の幸が豊富で水揚げ日本一を誇る。
 特に五島で獲れたものは新鮮で、人気もあり、それに珍しい種類が多いので、眺めているだけでも十分に楽しめる。
 なので面白そうなものを発見しては、直感的に調理してみてみるのもまた一興なのだ。

 しかしここで問題なのは、料理をすると直ぐにでも食べたくなるのが情と言うもの、缶ビール片手につまみ食いすればもうほろ酔い気分である。
 あ・・・今日は釣りに行くはずだったのにとか、温泉でゆっくりなんて予定が、ガラガラと音をたて崩れ落ちてゆく。
  
 
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2013.09.04 浮かれゆずる
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新涼に
  有明月も 
    浮かれゆずる
 
 
 処暑むかえ涼やか風に、日中だろうが所構わず虫が騒ぎだす
 リーンリーン、がちゃぐわっちゃちゃっちゃっ
 
 何だかこの前までの猛暑騒ぎは嘘のよう
 何だか一息つけそうです
 何だか私の腹の虫も騒ぎます

 旬の秋刀魚、今年の漁獲高はいかがなもの
 十五夜お月さんまだ早い
 青空ひょっこり浮かび出て、こんにちわ・・・
 私の団子は何処なのと、やはり虫が騒ぎます

 しかしこれより暫し欠けます、減量中の下弦の弓弦(ゆずる)
 「出ずる」、「弓弦」の掛詞
 その弦もどこか緩んだ、秋のうかれ空なり
2013.09.03 そらもよう
 “台風一過”なる言葉がある。
 馬鹿な私は子供の頃、“台風一家”というふうに勘違いしていたものだ。
 そして「寺内貫太郎」一家みたいな、騒々しい状況をイメージしていた。
 しかるに「はた迷惑な人々」という意味なのだと、ずっと思い込んでいたのである。
 それに気づいたのは、だいぶ大人になってからだった。

 さて、九州は台風15号が上陸直前に熱帯低気圧に変わって以来、天気がすぐれない日々が続いている。
 けたたましい雷雨がいきなり駆け抜け、常に気まぐれ空の機嫌を窺ってないと大変なことになってしまう。
 この前も職場の近くに雷が落ちたせいで、コンピュータのルータが破損し、ネットに接続できなくなってしまう始末。
 
 それにクーラーの基盤もいかれて、蒸し風呂状態の中で作業をしなければならない最悪な状況である。
 それにそれに、その前などは大きなつむじ風(小さな竜巻)が発生して、あわや巻き込まれるのではとびっくりなのだ。

 ・・・といくら愚痴ってもしょうがないので、台風前のさわやかな秋空の写真を三景どうぞ。

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車両の横には「SEA SIDE LINER」の文字が書かれ、まさに大村湾沿岸に沿って,
海を眺めながら心地よく走るのです



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今年の稲もすくすく


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天高く・・・というような秋の空模様でした
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