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2013.11.26 艶やか染まれ
   紅葉より
     艶やか染まれ
    晴着なれ


七五三convert_20131123225409

 年末を間近に控えた神社の境内は、今年最後の賑やかさ。
 そうそう七五三の季節到来だ。
 未来の紳士淑女は綺麗に着飾り、カメラの前でおすまし、はいポーズ。

 最もニコニコ嬉しそうなのはお爺ちゃんお婆ちゃん。
 母親はマネージャよろしく、着付けが乱れぬように、裾が汚れぬように眉をつりあげ、気配り、気遣い、今日は決して怒るまい。
 それではとカシャカシャ、シャッターボタン押しまくる。

 ますます濃く染まりゆく紅葉よりも晴着の紅は濃く。
 ますます濃く染まりゆく銀杏よりも黄色い歓声が響きわたる。
 今日のこの小春日和を生涯忘れることなかれ。
 
  
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2013.11.24 碗をとる
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        かじかむ掌
       ポケットいでて
      碗をとる
 


 迷路のように複雑にいりくんだ路地裏をひとり歩く。
 そこには表通りの陶器市の賑いなどまるで嘘のように、静寂の時間が漂っている。
 誰も行き交う人に会うこともなく、工房や町屋はひっそりとしている。
 日頃は器を作る職人達も客相手に駆り出されているせいか、咳ひとつもれてこぬほどに。

 棚に様々な器が整然と並んでいる様子が好きだ。
 そこで気にいったものを手にとり、上に下へとひっくり返して眺めてみる。
 ところで随分と前に陶芸教室に通っていたことがあった。
 これでも少しは焼き物について知識はあるつもりだったが、いざロクロの前に座ると、頭と手がバラバラの不様さに苦笑いするばかり。
 それでもいつかは納得できる作品が作れるようになるだろうと思いきや、ついぞ先天性の不器用さはそう簡単に直らぬことに納得した。
 そう言えばある時、指導してくれた若い女性の先生が可笑しそうに、「あなたは本当にお酒が好きなのね」と語りかけてきたことがあった。
 言われてみればと、はたと気づいたのは、いつもぐい呑みやら徳利と酒に絡む器ばかり沢山作っていたことだった。
 

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 路地から表通りに戻り、またひとつひとつ店を訪ねて歩く。
 やはりまっ先に足が向くのが酒器の置いてある一角だ。
 外はいよいよ深まる秋に寒さが増し、かじかんだ手はポケットに突っ込んだまま。
 そこにひとつの器がふと目にとまる。
 すると引っ込めていた手が自然と伸び、両手で包み込むようにしてみいる。
 掌にしっくりくればしめたもの、そのまま口元の近くまで呑むふりなどしたりして。
 「これならさぞ美味いだろうな」なんて、心が少し手にした碗へとすり寄ってゆく瞬間である。
  

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といれ2_convert_20131123002813
 『北斎漫画』に描かれた、上野の山の辻雪隠。
 突然にお腹を壊し、慌てて駆けこんだ先は、江戸時代における公衆トイレ。
 半戸の外で待つ下僕達は、あまりの臭いに鼻をつまみ、主人が出てくるのを外で待つのである。


 つい先日のこと11月19日が、世界トイレの日(World Toilet Day)という記念日であったとは、ニュースをみるまでまったく知らなかった。
 いや、知らないのは当然なはずで、何やら今年からユニセフで制定されたからしかたない。何でも世界の総人口に対して3人に1人の割合である25億人が、トイレを使うことができずに、衛生的な問題で命をおとす人が多いらしいのだ。
 特に体力のない子供や老人に至っては深刻な問題となっている。

 現代の私達の社会ではとても理解できないことだが、どうやらこれが世界の実情らしい。
 では、この日本でのトイレ事情はどのようなものであったかと言うと、かなり昔から排泄の場は意識されていたらしく、様々な文献史料からも窺い知ることができる。
 そればかりでなく発掘調査を通して、その実例も間近に見聞できるから面白い。
 折角、トイレの日が制定されたことでもあり、そうした話を少しばかりこれから何回かに分けて語れたらと思うのである。

 さて、トイレにまつわる話として、国内で最古の史料となるのに『古事記』がある。
 ここでは三輪山の大物主が、美しい勢夜陀多良姫(せやたたらひめ)を見染め、丹塗りの矢に化けて川屋に籠る姫の秘所を突いたというものだ。
 つまり矢は男性器を象徴しており、その結果として懐妊し伊須気余理媛(いすきよりひめ)が産まれた。
 これと似たようなものに『山城国風土記』があり、玉依姫が川遊びをしているところを、やはり丹塗りの矢が流れきて懐妊するのである。
 つまりここでキーワードになる場に、川があることに着目しておかねばならない。

 ところでトイレに対して様々な隠語があるのをご存じであろうか。
 日頃、口にするのは「トイレ」や「便所」であるが、なるべく直接的な行為をイメージさせるような言葉を避け「お手洗い」や「化粧直し」などと言い直す傾向もある。
 近年では「レコ-ディング=(音入れ=トイレ)」、「横浜に行く(市外局番が045=オシッコ)」など捻ったユニークな表現もあるらしい。
 登山ならばその姿勢から男性は「雉を撃ちにいく」、女性は可愛らしく「お花摘み」と、やはり間接的な表現が用いられる。
 それは何も最近のことでなく、しばし場を空けることから「憚り(はばかり)」とか、茶の湯の世界では優美さ漂う「雪隠(せっちん)」など、まだまだ沢山の言葉が古くから存在する。
 このようなひとつの施設をめぐり、様々な名称で呼ばれるのも珍しい。
 それは排泄という動物的な行為が必要不可欠なものでありながら、他者に対して穢れにも写ることへの配慮や、羞恥心に起因した心理的背景があるかのように感じられる。

 話は戻るが丹塗りの矢によって懐妊した姫の話しでは、その共通の舞台となったのが川である。
 そこに簡素な建物でもあれば川と屋(建物を意味する)をくっ付けて、「かわや=厠)」なる言葉が発生したのを想像するのはそう難しいことでないはずだ。
 つまり姫は川の側に架かる建物で下半身を曝け出し籠っていたところ、そこに丹塗りの矢に化けた神が川上から流れて来て孕んでしまったというのが、より写実的な話の展開である。
 これが現代社会であれば犯罪であり、大変な問題となりかねないが、それはさて置き古事記の記された頃の古代のトイレ事情を窺い知ることができる。
 天然の水洗式トイレが存在していたのである。

 よく気まずい人間関係にある当事者間で、「水に流す」という言葉を用い、リセットを図ろうとするが、こうした語源も多少なり厠に由来しているようである。
 だが、極めて衛生的なシステムのようにも写るのだが、ここで河川の汚染問題についても考えておかねばならない。
 現代社会における後進国のトイレ事情も、川に直接垂れ流す地域が未だに多いと聞く。
 そうなれば伝染病や風土病の感染経路にもなりかねない。
 こうしたことを憂慮して、世界トイレの日なる啓発活動が開始されたというところである。
 では古代日本のトイレも非衛生的であったかと言うと、必ずしもそうではなかったと思う。
 何故なら現代と昔の人口密度の比率や、井戸水を飲料として確保できた背景を考えると、実に合理的なシステムであったはずだ。

 ただ、明治以降に本格的に導入された西洋医学の発展で、特定の地域においてこれまで明らかにできなかった幾つかの風土病の原因に、川が介在していたという新発見はあった。
 これについてはいずれ日を改め話をすることにしたいが、とにかく臭いものに蓋をするのではなく、連綿と受け継がてきた歴史には教えられるものが数多いうことを知って頂きたい。
     クレパスで
       空に描いた
         幼き日


虹1_convert_20131119194624


 ねえ、君が虹を初めてみたのはいつの頃だった?
 僕はね確か小学校に入って間もなくであったように記憶している。
 その虹は雨上がりの校庭でのことだった。
 体育の授業の最中、直ぐ近くの丘に、小さくも鮮やかな色彩を放ちとても眩かった。
 小さな田舎町の、そのまた山の奥にある、まだ机を並べたばかりの名前も覚えきれぬ級友らは大はしゃぎ。
 むろん僕も興奮した。

 そして近くにいた誰かが言った。
 「あの虹の麓にはお宝が眠っているんだ」
 宝が何だかはうまく理解できなかったが、とにかく心が躍ってしかたなかったんだ。
 「掘りにいこう」
 だが無垢なる衝動は、担任である若い女の先生の号令で儚くもかき消された。
 「せいれ~つ」
 ピッ、ピィーッと甲高い笛がなる。

 それからだいぶ経って、そう大人になって再び感動的な虹をみたんだ。
 太平洋のど真ん中の周囲には丘ひとつない、いや自分がたつ無人島以外は島影ひとつない大海原でだ。
 虹は一瞬目の前から消えたかと思うと、二重、三重、いやいや五重、六重と見事なアーチを次々と形作った。
 束の間のスコールの中、泡だらけのシャンプー頭から垂れ落ちる雫は、懸命に見開き見ようとする目にしみた。

 その無人島には日本の基礎文化を構築する、第三のルートを確認しようと上陸していた。
 大陸から朝鮮半島を経る源流、黒潮文化により東南アジアから沖縄を経て本土に伝わるもの、そしてポリネシアから北上する細々たる三番目の海の道。
 いつかのあの虹に導かれ、船に揺れて揺られ、夢を求め丸二日間もかけてたどり着いた果て。
 そこで二度目の感動的な虹をみた。

 それからまた随分と月日が流れた。
 おかしなもので今度の虹も掘っている合間の出来事であった。
 目の前に架かる小さくても鮮やかな虹。
 いま掘っている弥生の人々が眠る遺跡の根元から、見事な七色の光が架かった。
 「ここに夢と言う名のお宝が眠っている」
 子供の頃から探し求めていたものが、きっとそこにあるはず。
 そう思えてしかたない。
 だからみんなにもどうか同じように、心はずむ虹を見上げて欲しいんだ。


 虹2_convert_20131119194723
 実を言うと牧のうどんの話はまだまだ語り尽くせてない。
 そこで以下に箇条書きにしてみることにした。

 其の壱、 ラーメンと同様に替え玉がある
 其の弐、 青ネギはいくらでも勝手に入れ放題
 其の参  出汁のとり終わった羅臼昆布は、レジ横に置かれ無料で持ち帰ることができて一粒で二度おいしい。 (私はこれで佃煮をつくることにしている)
  ※ そして此処重要で、かしわご飯とセットで頼むと「更に旨し」なのだ。

 普通はうどんと共に頼むご飯ものと言えば、おにぎりかいなりがまずは頭に思い浮かぶのではないだろうか。
 もちろん牧のうどんにもいなりはあるのだが、鶏の旨味たっぷり沁み込んだかしわ飯はこれまた最高なのである。
 ある意味、隠れた主役とも言え、小ぶりの飯茶碗から立ち昇る牛蒡独特の香りが鼻の奥を擽るから堪らない。

 ところがである福岡県内においてうどんチェーン店の双璧を成す資(すけ)さんうどんでは、〝ぼた餅〟を推す声が大きい。
 この資さんうどんは北九州市を中心に展開するのだが、最近福岡市内においても看板をよく見かけるようになった。
 これは牧のうどんが敵地の北九州まで戦線を拡大してないなかで、将棋で言えば王手をかけられたようなものではないか。
 どうするマッキ―。
 危うし牧のうどんである。


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 器からはみ出す細長く切られた牛蒡天が特徴
 それに甘み押さえたぼた餅が不思議とうどん出汁に合うから面白い



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 しつこいけど更にズームイン! 輪切りのかまぼこはどこを切っても「資」の文字


 それに全国展開目覚ましい丸亀製麺は日の出の勢いで、あれよあれよという間にあちこちでみかけるようになった。
 東京は言うに及ばず、三年前には仙台にて、最近は帰省した鹿児島の故郷でも、そしてここ長崎でも見かけ、とったとられたの仁義なき戦いが繰り広げられているようだ。
 ちなみに調べてみたら北海道から沖縄まで、現在839店舗あるではないか。
 う~ん・・・ソーキソバも危うし。
とにかく「頑張れマッキ―」なのだ。
 しかし下手に拡大路線をつき進み、肝心の味が落ちるようなことがあってはこれまた困る。
 とりあえずは「ほどほどに頑張れマッキー」にしておこうではないか。


牧のうどんconvert_20131118215348
 ごめんなさい(>_<)
かしわご飯の香りが届けられないのが無念


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 私の勧めで七年前に大宰府の牧のうどんにて信者一号になってしまった、埼玉県出身の男
 いまや週一で食さねば発作が起こるほどの、重度中毒症状に悩まされているらしい・・・





 何故か無性にうどんというものを喰いたくなる時がある。
 それも思いがけなく、突然に・・・
 「喰いたい」
 その切なき思いは胃の腑を無数の触手でからめとり、もはや饐えはじめたこの脳みそまでもこれでもかと捏ねくり回すのである。
 例えばだ、それが宿酔の苦悶の末にようやく訪れた安息であれば尚更に、酷使され続けた肝臓は胃に温かで優しく、しかも旨みのある出汁を欲して止まぬのである。
 
 そう、九州を代表とする麺と言えば、間違いなく誰もが豚骨ラーメンを思い浮かべるはずだ。
 しかしそんなものばかり食べていたら、ギトギト背脂で間違いなく中性脂肪の数値は高まり、いずれは糖尿病など成人病の巣窟の体になりかねない。
 ところで博多はうどんのメッカでもあり、地元ではラーメンよりもこちらの方がよく食されるような気がする。
 その証拠に福岡が成人病の死亡率ナンバーワンなどと、決して不名誉な事はありえない。

 さて、最近では香川県が「うどん県」なるものを名乗っているが、国内におけるうどんの発祥は鎌倉時代まで溯り、宋より帰国した聖一国師が製粉技術と共に広められたとされる。
 事実、中世の遺跡を発掘していると、擂鉢や捏鉢などその前まで存在しなかった新たな調理器具が目立つ傾向がみてとれるから面白い。
 やがてそれは長い時をかけて、洗練され豊かな和食文化を醸造し、いまや世界遺産の候補にまで取り上げられたのはまだ記憶に新しいはずだ。
 その大恩人である聖一国師を讃え、博多区の承天寺には発祥を記念する碑が境内の隅にではあるが、堂々たる格好で建っている。
 つまり博多こそがうどんの国なのである。
 
うどん発祥の碑convert_20130611101812
左が「饂飩(うどん)・蕎麦発祥之地の碑」、中央が「御饅頭所の碑」で、羊羹や饅頭もといった和菓子のルーツともなるものも同時に伝えられたのである


 まあ小難しいウンチクはここまでにして、福岡県内にうどん屋たくさんあれども、私は迷うことなく「牧のうどん」派である。
 通の間では「マッキ―」などとも呼ばれているらしい。
 この本店は福岡市とは西隣の糸島市にあり、ここを中心にして半径50km圏内に20店舗が国道沿いなど交通の便利な箇所に立地している。
 これにはちゃんとした理由があり、出汁だけは本店のみで作るこだわりさで、ここから毎日配送しなければならぬため、自ずと距離と立地には条件が伴うのだ。
 そうしたことから旨いにも関わらず、広範囲に展開できぬ限界がある。

 しかしながら麺は各店舗の調理場内に設置された製麺機で作られる。そして自動麺切り機で形を整えられたうどんは、事前に茹でて水しめ(ぬめりを取るため)されることなく、ベルトコンベアーで茹釜に直接送られる。
 つまり通常のうどんと比べ、工程がひとつ欠けた特殊な製麺方法なのである。
だから注文してものの数分で、どんぶりがテーブルに届けられる。


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注文票には軟めん、普通、硬めんで茹で加減を選べ、赤鉛筆で正の字を書いて店員に注文するのだ


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 やはり福岡は〝ごぼ天うどん〟が定番で、出汁を浸して食すとこれが最高なのです


 とにかく早い。
 にも関わらず旨い。
 だからと言ってのんびり味わって食べていようものなら、麺は出汁をどんどん吸い込み見た目の量がなかなか減らない。
 いやいや、減らないどころか増えていくのだ。
 だから傍らには常に、やかんに入った出汁も一緒にドンと店員が置いてゆく。

 ・・・と言う話をである、先日、結婚式の二次会で新婦の友人の美女数人に囲まれ、つい調子にのり熱くうどんを語っていたところ冷めた目でみられてしまった。
 そして牧のうどんに対し純粋に理解が得られなかったせいか、それとも素敵な女性に相手にしてもらえなかった哀しさか、よく分からぬ複雑な思いをのまま、冬の夜空に打ちあがる花火をひとり見上げねばならなかった。
(※当日の披露宴の行われたハウステンボスでは、幸運にもスペシャルイベントと重なり花火も観れたのであります)


 いきなり或る女性からこんな質問をされた。
 「蛙のことをドンコビッと言うのですか」
 彼女は元々は関西の出身で、全く縁もなかった土地である鹿児島の大学を卒業していた。
 だから鹿児島の方言はある程度は理解できていたのだが、このドンコビッだけは初めて聞いた様子であった。
 そう、鹿児島では蛙のことをドンコビッ、もしくはドンコビッチとも言う。
 ちなみに言葉の間に「•」を付けてみれば、“ドン•コビッチ”と、あら不思議ラテン系風の名前になるから面白い。

 ちなみに、ちなみに黒板消しのこともラーフルと言う。
 小中学校の休み時間は、ラーフル係りが決められ、教室の外に出てパンパンと粉を叩き出して綺麗にしていたものだ。
 このラーフルの語源は、ポルトガル語もしくはドイツ語らしく、明治維新後に定着した言葉なのである。
 だから私は黒板消しなどと一度も言ったことがない。
 いや、ラーフルが、共通語だとてっきり信じていた。

 話は変わるがNHKの大河ドラマで八重の桜を観ていたら、同志社大学の前身である英学校に入学してきた、熊本出身の学生の挙手の仕草には驚いた。
 彼らは非常に優秀な学生達で、いわゆる熊本バンドと呼ばれていた集団であった。
 そして後に有名になる徳富蘇峰らが、人差し指を真っ直ぐにつきあげ手を挙げるのである。
 どうやらこれも西洋式の仕草らしいのだが、間違って掌を裏返し、中指でも突き立てようものならば、とても恐ろしいことになりそうである。
 
 兎にも角にも九州は早くから西洋の文化を取り込むことで、それが幕末に至っては近代兵器を手にし、二百五十年の長きにわたった幕藩体制を崩壊させていくのである。
 つまり、いかに九州が先進地であったかを、何気に自慢などしているのだが・・・
 ちなみに、ちなみに、更にちなみに親指と人さし指と薬指であれば、まことちゃんである。
 「グワシッ」

 どうも話がとりとめなく、そして果てしなく馬鹿馬鹿しい方向性に向かいつつあるが、ドンコビッはたぶん外来語ではないと思う。
 久々に耳にした故郷の懐かしい言葉に、ウオッカを煽りすぎた“ビンタ”(頭)は、とりとめもなくふやけ、そしてまたもや暴走し始めているようだ。

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ふざけてるのは私です

 今や“くまモン”を見かけない日はない。
 スーパーに買い物にいけば、必ずと言っていいほど、“くまモン”の顔が大きく描かれたパッケージを目にする。
 それもひとつやふたつどころの騒ぎではない。
 お菓子類はもちろんのこと、お米やふりかけ、カップ麺、トイレットペーパ、果てはさらし鯨まで、これでもかと巷に溢れかえっている。

 こうした現象の発端となったのは、“くまモン”の使用料がただである背景があげられる。
 つまり何に使おうが勝手にどうぞと言うことで、また人気も相まっていずれの商品に関係なく、広く用いられるようになったのだ。

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トイレットペーパーとテッシュに“くまモン”だもん


 つい最近では天皇陛下にも謁見するニュースなど、実に愛くるしい姿で多くの日本国民の心を和ませてくれている。
 皇后陛下が「おひとりで演ってらっしゃるのですか」の質問には、慌て困惑した表情がまた愉快でもあった。

 ところがあれから間もなくして、両頬にあるはずの丸く赤いほっぺを失くしてしまったという騒ぎが起こった。
 落ち込む“くまモン”は、ピーポ君の見守るなか、遺失物届も提出した。
 さっそく渋谷の街頭では、ほっぺを捜しに協力の呼びかけが大型スクリーンに流され、往来する人々の注目を集めたと言うではないか。
 
 一時は私も少しは心配はしたのだが、何故か不自然である。
 そう、自作自演の可能性が感じられ、その背景にはくまモンの大いなる野望が感じられて仕方ないのだ。
 それは日頃から頭の片隅にあった、熊本県人の密かなる計画へと結びついてゆく。
 いや、ここまで来れば、もはやそれは確証に近い手ごたえさえある。
 
 恐るべし“くまモン”
 そしてそれを操る熊本県人なのだ・・・
 などと言いつつも、本日はその疑惑の熊本県出身で、かつての仲間の結婚式に出席して、乾杯の音頭をとらなければならないのである。
 何でもハウステンボス内の運河を航行する船上が会場とかで、スピーチの内容を確認しているふとした隙間に、ほっぺのとれたくまモンの顔が浮かび、つらつらと思いつくままを書いてしまった。

 さて、せっかくの慶びの門出の日でもあり、“くまモン”の本当の狙いはいずれ話すことにして、ご結婚おめでとう。

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なぜかピーポ君が心配そうな表情のようにみえてしまうのです


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渋谷のスクランブル交差点のところですね
後ろ姿が寂しそう




※ ずいぶんと更新をさぼってしまいました。ごめんなさい。(-_-;)
 
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