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 天下の日本橋を駄馬にまたがりウトウト居眠りをする肥取り。それを周囲の人々は「落ちるぞ落ちるぞ」とあれよあれよ囃したてる。よく見れば鞍には糞尿をいっぱい溜めた肥桶がくくり付けられているではないか。もし落馬でもされたら、あわや中身をぶち撒けてしまいかねない大惨事だ。
 

 時はいまをさかのぼること二百年ほど前。
 場所は花のお江戸でも庶民が多く暮らす神田は明神下辺りの貧乏長屋でのこと。
 そこでちょっとした騒ぎが起こった。

 何でも共同の厠に溜まった糞尿について、いったい誰のものかで大家と店子が睨みあっているのだ。
 「これはわし達の尻から出たものだから店子のもの」と言い張れば、「そこの厠はあたしの管理しているものだよ」と負けずに大家もやりかえす。
 どちらも全く引く気配が感じられない。

 それもそのはず。
 何しろ汲み取られる糞尿にはお金がかかっているから、そう簡単に諦める訳にはいかない。
 それは現代社会でも同じことのように聞こえるが、しかし江戸時代は今とは立場が逆で金銭を支払い汲み取ってもらうのではなく、貰えるのである。
 だからその所有権をめぐり、どちらも後に引けないのだ。

 百万の人口が集中する江戸はまさに宝の山である。
 汲み取られたものは近郷の農家まで運ばれ、そこで畑に撒かれ下肥となる。
 そして百姓ばかりでなく、こうした流通を専門の業とする肥取りもいたらしい。
 では、どのように運ぶかは天秤棒の両端に肥桶を吊るし担ぐスタンダードなものから、馬に背負わせる方法などが知られている。

 しかし誤ってひっくり返したりでもすればそれこそ大変なことだ。
 余談ながら文献には、こうした笑うに笑えない話が数多く散見するから面白い。
 まずは多くの人々が往来する路上で、見事に撒き散らした実例ひとつばかり。
 郡山藩のご隠居である柳沢信鴻が体験した話である。
 或る日のこと往来を行くと、肥桶がひっくり返り辺り一面が糞尿により溢れた。
 たったいま目の前を歩いていた僧侶や老婆はこれを浴び、憐れにも衣服を汚してしまったのだ。
 この惨状をみた信鴻は、少し後ろを歩いていたおかげで災難に遭わずに済んだと安堵の気持ちを日記に残している。


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左)肥桶を担いだ馬が膝を折り、大切な中身をひっくり返してしまった。肥取りは慌てて桶を起こそうと駆け寄り、辺りの人々は一様に鼻をつまむのであった。
右)いまでこそビルが建ち並ぶオフィス街の丸の内も、その昔は天秤棒に肥桶を担ぐ肥取りの姿がみかけられた。



 次も面白い話なので紹介しておきたい。
 やはり多くの人が行き交う往来での出来事。
 本来ならば肥桶には蓋をしなければならない決まりがあったようで、これを守らず桶を担いでいた肥取りをみかけた侍が咎めた。
 そこで、つい義憤にかられ厳しく罵しれば、肥取りはたまらず逃げ去ってしまった。
 後に残されたのはなみなみと糞尿をたたえた肥桶である。
 今度はそれをいったい誰が処分するかで問題となった。
 すると番所は何の非もない侍に片付けるよう命じ、侍はしかたなくこれに従わざるを得なかった。
 何とも理不尽な話で、この話のオチは「怒りも過ぎれば、かえって禍となる」と、何事もほどほどにと教訓めいた内容で結ばれている。

 さて、神田明神下の長屋の一件であるが、あれは小噺のネタで実際は管理者である大家に所有権があった。
 そして年間契約した肥取りが定期的に訪れ、金銭や収穫した野菜など見返りとして置いていったのである。
 ところで江戸時代の大家は地主から雇われた身分であり、その給金が維持管理費も含め二十両ほどで、肥取りから入る代金はその倍ほどのかなりの収入を占めていたらしい。
 また野菜ならば干大根五十本と取引されていた記録もある。
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