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“くらわんか藤田コレクション” 波佐見町歴史資料館
(以前に骨董市で買い求めたのと同じものも展示されていた)
 


 江戸の遺跡を発掘すると様々なものが出土する。下駄もあれば簪や入歯だってある。
その中でも最も多いのは、やはり陶磁器だろう。それも古伊万里と呼ばれる佐賀県は
有田周辺で焼かれたもので、船積みされた伊万里の港にちなみ一般的にそう呼ばれて
いる。
 その中でも絵柄が簡易で、どちらかと言えば粗悪な部類のものがある。これらは有田
に隣接する長崎県は波佐見が生産地である。器種は椀から皿、徳利と身近な日用品で、
主に町屋など庶民が暮らした地域に集中してみられる。

 この波佐見焼はどちらかと言えば、くらわんか碗の俗称の方が有名で、大坂の淀川を
行き来する船を相手に、“飯くらわんか~、酒くらわんか~”と客引きしていたのに由
来したものだ。つまりこれ以前は陶磁器は高価で誰もが気安く手にできなかったのが、
波佐見で大量生産できる環境が整い、安価なものが出回った結果において、こうした江
戸時代の外食文化にも陶磁器が浸透してきとことを物語る。

 その図柄は簡易で、いっきに筆で描きあげられる素朴なものである。分厚く洗練さに
欠けたデザインながらも、どことなく手に馴染み易い温かみが特徴である。最盛期は18
世紀代の江戸時代後期で、大村藩の特産品として隣の鍋島藩の伊万里から有田産と
共に一大消費地である江戸や大坂に向け船積された。

 その後明治に入ると鉄道が敷設され、船に代わり汽車で輸送されることになるのだが、
そうなると名称も伊万里から有田へと出荷地の名前となるのである。しかし波佐見焼と
しての知名度は依然として低く、その需要とは裏腹に有田の陰に隠れた存在であったと
言わざるを得ない。

 さて。現在も中心街から一歩谷筋に向けて車を走らせた山里には、狭い斜面に折り重
なるようにして窯元が甍を連ね、そこに幾本ものレンガ造り煙突が競うように建ち並ぶ。
作風は相変わらず気取らない伝統を守り、どこか懐かしい親しみを覚えるのは私だけで
はないはずだ。この里からいま少し行けば棚田の風景が広がり、毎年秋にはユニークな
姿をした案山子たちが出迎えてくれる祭りもあるので、これからの行楽シーズンにはお
気に入りの碗探しに出かけるのも一興ではないだろうか。

「第13回鬼木棚田まつり」は以下のホームページにて紹介されてます
http://www.town.hasami.lg.jp/yakuba/nourin/tanadamatsuri.htm



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中尾山地区には、たくさんの窯元の煙突が並ぶ

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さっそく“芋焼酎喰らわんか~”なのだ
(広東碗と呼ばれるタイプで、高台が高く、体部は直線的で角度がある)
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