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2012.10.06 夏は終わりぬ
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 種宿し
   夏は終わりぬ
     枯れ蔓よ


このひと夏を楽しませてくれたニガウリは、秋の気配が色濃くなるにつれ萎れ具合が目につくようになってきた。夏の盛りには一晩でひと回りもふた回りも成長するのに随分と驚かされたが、今ではいつまで経っても小さなままの実が元気なくぶらさがっている。
 それも黄色く熟れ腐れ、裂けたところからは真っ赤な種が顔をのぞかせる。

 ところで子供の頃から、これほどまでにニガウリが好物であったかを思い出してみると、父親の晩酌の肴兼おかずとして食卓に度々登場する炒めものにうんざりさせられるばかりの記憶しかない。そしてとどめは甘酢に漬けた漬物である。
 まだまだ未熟な子供の舌にとってみれば、間違いなく大嫌いな食材に他ならない当然なる結果だ。
 
 ではいつ頃から美味しいと感じるようになったのか、更におぼろげながら記憶をたどってみれば、それは随分と大人になってからのような気がする。あれは20年ほど前のグスク(城跡)視察のために、初めて沖縄を訪れた時までさかのぼる。

 あの時は一年で最も過ごしやすい“うりずん”の季節で、涼やかな潮風が昼間の火照った素肌を優しく撫でていく心地よい夜であった。泡盛を片手に“ミミガー”や“ラフティー”など、聞き慣れぬ怪獣のような名前のものをメニュー順に端から注文し、“ゴーヤチャンプル”にたどり着いた。
 すると出てきたのは、あの“ニガウリの炒めもの”である。なんだと思いつつ口にし、泡盛と共に胃の腑に流し込めば、苦みが案外にも美味く感じられた。

 あれ以来、夏がくればスーパーでニガウリはないかと捜し求めたものである。しかしながら置いてる所はまだ少なく、稀に発見することができても、そこには“ニガウリ”や“ゴーヤ”でもない、“レイシー”なる何処かよそよそしい名札がつけられていた。それも1本ごとに丁寧にパッケージされてである。しかし、その姿、形はどこからみても、ごつごつした不格好のニガウリなのであるが・・・?
 だが今ではゴーヤの名称で店先には山盛りにされ、すっかり夏野菜の定番として落ちつき嬉しい限りである。
 
 さて私の育てているニガウリは現場事務所の裏側にある空地だが、ここで発掘調査に参加しているフランス人に、お洒落な雰囲気の漂うレーシーについて尋ねてみたことがある。するとフランスにはニガウリなどという野菜などなく、当然ながらフランス語ではなかった。さらにブラジル人にも聞いてみたが、答えは同じであった。ただしこちらの方は、ニガウリは山に行けば自然になっているもので、それを採ってきて食べるのだという。

 こうしてレーシーの謎は解けぬまま、今年も夏が過ぎ去っていった。そして目の前には種を宿したままの実が、「また来夏も楽しもうよ」と秋風に揺られている。
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