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見た目こそ悪いが、味は最高!

 茄子、南瓜、いんげん、ピーマン、トマト、ニガウリと夏野菜のシーズン到来である。
 私ごとであるが地元(大村市)の皆様方から、自分の畑で作ったと言うキュウリをもらう機会が多い。
 それも獲れたての新鮮なものを、袋一杯に詰められたものを手渡される。
 
 早速に仕事を終えると、塩で揉みごま油少々かけてとか、単純に味噌をつけて丸ごとポリポリ焼酎の肴に重宝している。
 形こそ悪いが、いやいや本当に旨い。
 前回のブログでは「キャベツばかりかじっていた」と書いたが、とりあえず訂正しておく。
 今の私は、実は「キュウリばかりかじっていた」なのである。
 しかし、キュウリではやはりあの名曲『赤ちょうちん』の情緒的なイメージには、絶対に合わないだろうなと納得しながらも、早や焼酎で頭の思考回路が大いに鈍り、キーボードを叩きブログを更新しつつの手酌酒で、更に酔いは進むのである。

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味噌をつけつけ、また美味い


 そうなのである。
“それ、すすめ。やれ、すすめ。進め、進め、ガンガンいけいけ”と調子にのりつつ、酔った勢いにまかせ、私の秘密について今宵は少しばかり話そうではないか。
 それは私が子供の頃の話である。
 本当に正真正銘に本物の田舎だったので、強制的に小中一貫校2クラスしかなかった頃の思い出である。
 その頃の私は非常に痩せ、細っそりした体型をしていたので“キュウリ”と同級生に呼ばれていた。

 まあ、男らしさが尊ばれる鹿児島ならの土地柄もあるが、キュウリなる何処か貧弱なイメージのニックネームには、不愉快さしか感じなかった。
 一方、周りの同級生をを見れば色黒で横ばいのコジックイ(胴長短足)が多かった中で、手足が長く華奢な私は否が応にも目だってしまうのであった。

 しかしである。
 齢50を過ぎれば子育ても一段落し生活も安定するせいか、頻繁に同窓会の案内状が届くようになる。
 ならば偶には行ってみるかと渋々出かけれると、卒業以来逢う懐かしきはずの面影は、遥か銀河の彼方まで遠ざかり、全く見知らぬ他人のようになっている。
 
 女性は特にそうであるが、とりあえずこの話にはなるべく触れないようにしてと・・・。
 男性は頭が燦然と禿げるか昭和枯れススキの寂しさで、それに引き換えお腹はでっぷり臨月状態となり、オジサン化を果たしているではないか。
 
 見事なるメタモルフォーゼ(変身)である。
 かのカフカにも見せてあげたいほどだと、それを横目にムフフと内心笑っているのが、あのキュウリと呼ばれ続けた男。
 この私なのである。

 あっ・・・そうそう、ごちそうさまでした。
 とても美味しく頂きましたよ。
 今度は是非トマトもお願いします。
鬼の穴古墳_convert_20130629100946

 仕事がら色んな土地に住むことが多い。
 そうした事情から、少なくとも年に1回は引っ越しをしている。
 まあ、引っ越すといっても自宅は東京にあるのだが、そこから必要最小限の
家財道具を段ボールに詰め込みむ程度のことである。
 それでも1年近くを地方で過ごす訳であるから、衣類だけでも春夏秋冬ものと
結構な量になる。

 そして今年は早くも2回目の引っ越しと相成った。
 今、住んでいる所はレオパレスで、1か月前に入居したばかりなのだが、様々な
都合もあり、近くのアパートに移ることになった。
 さて、その今の寝ぐらの話についてであるが、ドアを開けると目の前に古墳が
ドーンとあるのだ。

鬼の穴古墳4_convert_20130630134247

 最初はこれには驚かされた。
 何でも6世紀代に造られたもので、横穴石室の構造になっている。
 その名称も「鬼の口古墳」と何だか怖そうである。
 毎朝仕事に出かける際には、この石室開口部が真正面にあり、「いってらっしゃ
い」と必ず見送ってくれる。
 そして帰宅した時も「今日は何か面白いものが出ましたか・・・」と出迎えるのだ。

 うーん。
 やはり仕事がら妙な心境である。
 それも来週までで、今度は処刑された隠れ切支丹の首塚跡が近くにある。
 うーん。
 やはりこれも因果な商売ということなのか。
 などと唸ってばかりの日々が続きそうなのである。
2013.03.11 時代
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 今月末に博多にあるの事務所が引っ越すことになる。引っ越すといっても同じビルの1階から5階なのだが、今までの半分の床面積しかない。そうなると個人の蔵書は置き場などなく、とりあえず実家の鹿児島に移動させることにした。
 そういうことで週末ともなるとなると、福岡、長崎、鹿児島の間を行ったり来たりの連続だった。それも一昨日でようやく一区切りがつき、ダンボール箱を愛車にぎゅうぎゅうに押し込み、あとは黄砂で霞む九州道を南へとハンドルをきる。
 しかし本とは思った以上に重いもので、4駆にもかかわらず車高は深く沈みどうにも安定感が良くない。

 鹿児島に着けば、遠く桜島は霞み火山灰なのか黄砂か見分けがつかないほどであった。
 家では出迎えてた両親にも手伝ってもらい、重い荷物を部屋へと運び込む。そこには先に持ち込んだ本の山が既にあり、片付けながらなんとか収まるように積み上げていく。
 その量の多さに今さらながら呆れてしまい、横では両親が床が抜けるのではないかと実に心配そうであった。

 片づけもひと段落つけばダレヤメとなり、母親の手料理に焼酎を酌み交わす手がすすむ。
 するとこの10ヶ月間の九州での生活が、瞬く間に過ぎ去った寂しさが沁みてくる。
 それは確実に年老いてゆく両親の顔を前にすればなおさらで、長崎での発掘が終われば東京へと戻らねばならぬ後ろめたさに心の中でつい頭を下げてしまう。

 ほどよく酔いも回ったところで、母が奥の部屋から何やら持ち出してきた。
 それは木箱のケースであった。蓋を開けると、中にはカセットテープが並んでいる。あの本を置いた部屋を掃除していたら隅の方から出てきたそうだ。
 30年ほど前によく聴いていた、レコードから録音したミュージックテープである。
 薄く消えかかったインクの文字をひとつひとつ目で追えば、様々なアルバムタイトルや歌手の名がそこにある。
 ひとつおもむろに取り出し、再生ボタンを押してみれば、くぐもったメロデーとともに女性の歌声がようやく聞き取れる。
 「そんな時代もあったねと・・・」
 “中島みゆき”だ。
 歌詞は当時の若い私にはとても実感できるはずのない内容だが、こうして月日を重ね初めてしみじみと感じられるものがある。
 「いい歌だね」、ぽつりと母が云う。
 「うん、懐かしいな」とそれに応える。
  後はノイズなど気にもとめず、ただ黙って耳を澄ます。

       ♪ 旅を続ける人々は
        いつか故郷に出会う日を
        たとえ今夜は倒れても
        きっと信じてドアを出る
        たとえ今日は果てしもなく
        冷たい雨が降っていても


 さて本も全て引き払った事だし、これからの先について少しばかり考えてみよじゃないか。
 そう思うこの頃である。
 
2013.01.01 謹賀新年
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新年おめでとうございます


 科学的にいえば地球が太陽をひと周りし、元の位置に戻ったということである。
 そしてこの惑星(ほし)に住む生物にとっては、再び新たなサイクルで活動が始まったことを意味する。
 
なんてこ難しいことはさておき、マヤ暦でいうところの人類滅亡が現実とならず、ひとり胸をなでおろし元旦初日の朝から酒に浸っているところなのであります。
 いやいや正直に申せば、大晦日の紅白をみながらだったかな・・・

 しかし永ちゃんはいつまでも年をとらず、本当に格好いいですよね。
あの体型を維持するのは、並み大抵のことではないと想像します。
 そう感じつつもこの私は、手にした杯を決して離すことなく、隈なくおせちを箸でつつき回し、全くもって哀しいぐらい意思の弱き人間なのであります。

 ところでこのブログも皆様の応援のおかげで、本日をもち満一歳をむかることにあいなりました。
 新しもの好きの飽きっぽい性分にしては、これは珍しきことなのかもしれません。

 ということで本年もよろしくお願い申し上げます。
 
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小浜温泉でオバマ大統領に会った

 思えば偶然にも、今年の7月にオバマ大統領に会ってしまった。
 とりあえず再選おめでとうございます。
 
 できることなら傍若無人なる、中国や北朝鮮を懲らしめてください。
 我が国は“日出処国”から“日和見国”になり果ててしまったので・・・

 
 
 
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上野焼き宗家九兵衛窯の庭先にあった水盤に浮かぶ秋桜


 それは手入れの行き届いた庭だった。
 低い灌木の木の下に何気なく置かれた作品の水盤には、摘みたての秋桜が三つ浮かんでいる。

 ここは日本八古窯のひとつ、上野焼き宗家九兵衛窯の工房である。
 旧い友人が陶芸に始め、その焼きものの里を案内してくれたのだ。

 その日は北九州市に用があり、ついでにそこに暮らす朋と会うことにしたのだが、十年ぶりの再会とあいなった。
 “朋遠方より会いにいく”である。
 そして夜の更けるのも忘れ焼酎を酌み交わせば、思い出話よりもいま凝っているという陶芸の話に花が咲く。

 ならばと彼の通っている陶芸の里を訪れることにしたのだ。
 窯元では当主の子息である渡仁氏と会うことができ、新たな作風への試行錯誤やその技術の奥深さに興味が尽きず、つい聞き入ってしまった。

 そこの展示室を拝見していると、焼酎を呑むのにちょうどいい小ぶりの天目碗が目に止まった。
 値段も手頃である。
 ならばと幾つかある中から、釉調のよさそうなのをひとつだけ買い求めた。
 さっそく翌日のダレヤメにお湯割りした焼酎を注げば、真に幸せ気分なのである。

 さて、次回は長崎に住む私のところに“朋遠方より来る”約束だ。
 そして、“また焼酎も美味からん”なのだ。
 こちらは有田もあれば波佐見、唐津焼きと、窯元をあげれば枚挙がない。
 今宵は歳の分だけ目尻に皺の増えた朋の顔を思い浮かべつつ、買ったばかりの碗にまたいっぱい焼酎を注ぐ。
 

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展示室には趣のある作品が多く並ぶ 


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お湯割りの美味しい季節になりました
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遠藤周作の代表作である『沈黙』の舞台となった長崎市外海町を訪れる。この日は近づきつつある台風の影響もあり、ポツリポツリの雨がフロントガラスを濡らす生憎の天気であった。本来ならばここから望む角力灘は絶景で、五島やその他の小さな島々が碧い海原に浮かびあがっているはずだ。

 小さな岬の突端にまだ真新しい“遠藤周作文学館”が建ち、そこの展示を観て回ることにした。私が遠藤周作を初めて知ったのは本ではなく、ブラウン管越しに美味そうにインスタントコーヒーを飲む姿であったと思う。そう、あのキャッチコーピーで有名な、「違いのわかる男」シリーズのひとりとして出演していたからだ。

 それから随分として、何かのきっかけで『沈黙』のさわりを読んだことがあった。その時は重苦しく、悲壮感が漂う雰囲気が厭になり早々と放り出してしまった。それは大人になった今日でも心の奥底に刷り込まれ、他の作品をなかなか近づけることなく過ごしてきた。

 そうはいっても論文のイメージを膨らましたいという意味で、一度だけ小西行長を主人公にした作品を手にしたことがある。文禄・慶長の役を通して不仲な加藤清正との確執や、侍と商人の間で揺れ動く葛藤、そしてキリシタンとして意味もなく虐げられる異国の人々への情けに、常に悶々と悩み迷い続ける姿が、私には何故か苛立ち、拭いきれぬ不快感ばかりが募った。
 結局はその時も苦手な作家として、最後まで読み通すのは困難であった。だが、ここの文学館のパネルには、作品の一部が抜粋されそれに触れるうちに、もう一度読み直してみようとのささやかな抵抗が芽生えたようだ。

 人間であれば誰しもが抱えているはずの心の内なる迷いなど、ともすれば若さのエネルギーなるものにかかれば否定的な態度で弾き返そうとするものだ。どうやら来週でひとつ齢を重ねるせいもあるのか、私の内なるところで何らしかの化学変化にも似たものが生じているのかも知れない。それを証明してみるためにも、売店で『沈黙』を買い求めずにはいられなかった。
 そう、“違いのわかる男”の歳にいよいよ近づきつつあるのだ。
 たぶん・・・